衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年12月14日    土曜日     第1 回の開示 合計2083回の開示

意根の煩悩と識の煩悩

問:私が心に煩悩が生じようとするのを観察すると、その後意識は本当に煩わしさを感じます。意識が考えることは全て負のエネルギーで非常に消極的、つまり鬱状態が現れます。この煩悩は意根から生じたのでしょうか。

答:あなたの述べた状況から見ると、確かに意根が先に煩悩を持ち、その後意識を煩悩の生じる所に生起させ、煩悩を了知し、感じさせ、そして煩悩と情緒を表現します。これは意根が意識を染める作用です。

意識が法を了知した後、自らの煩悩を生じる可能性があり、その後意根を染めて意根にも煩悩を付着させます。これは意識が意根を染める作用です。意識の生起は意根と法塵が接触し、接触後に造作を欲して初めて意識が生じます。意識の煩悩はどこから来るのでしょうか。一つは意根から、もう一つは境界に心を起こすことから来ます。意識の煩悩がどのように意根から来るのか。意根が塵境に触れた後煩悩を生起し、発散させたい、あるいは表現したいと思えば、意識を調節し、意識に煩悩の情緒を発散させ煩悩業を造作させます。そこで意識は瞋恨や貪愛などの煩悩を表現します。

意識の煩悩の第二の源は、意識が塵境に接触し了別した後、煩悩を生じる可能性があることです。意識が煩悩を生じて何かを造作しようとする時、考えを意根に伝達すると、意根が惑わされても煩悩を起こさなければ、受動的に意識が煩悩業を造作し情緒を発散することを許可します。もし意根が意識の惑わしと感染を受け、煩悩を生じたなら、積極的に意識に煩悩業を造作させ情緒を発散させます。意根が意識の惑わしを受けなければ、意識が煩悩業を造作することを許しません。

よって衆生が煩悩を起こす時、時には意識単独の煩悩、時には意根単独の煩悩、時には意根と意識が共同で起こす煩悩があります。意識単独で煩悩を起こす場合は速やかに消退し消失しやすく、転化しやすいものです。意根が自ら煩悩を起こす場合は鎮静が難しく、説得や転化が容易でなく、降伏しにくいものです。意根と意識が共同で煩悩を起こす場合は、必ず煩悩業を造作することになり、この時情緒を制御する者がいなければ、一気に収拾がつかなくなります。

——生如法師の開示
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