衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年12月09日    月曜日     第1 回の開示 合計2079回の開示

六七の因位より転じて五八の果位に円成す

これは修行の後の結果が四智円明であることを述べています。四種の円明なる智慧には、五識の智慧、意識の智慧、意根の智慧、第八識の智慧が含まれます。円明とは円満明妙という意味であり、智慧が究竟の頂点に達し、もはや増長することのない状態を指します。これは一切法無学位、すなわち最高位である仏位に至り、もはや修行を必要としないことを意味します。

仏位において四智が円明であるということは、四種の識心がすべて究竟円満明妙の智慧を具足できることを示しています。ただ衆生位においては円明ではなく、有漏であり無明を有しています。第八識には漏も無明も存在しませんが、なぜ衆生位において円明ではなく、転識成智を必要とするのでしょうか。前七識の業種が第八識に存在し、第八識が究竟円融無礙の光明を放つことを妨げているためです。あるいは、第八識が円満無礙の光明を放つことができても、七識の無明がその一部を覆い隠し、第八識の功能作用に制限を生じさせているためです。一旦七識の無明が断尽されれば、この遮障は消滅し、第八識の大光明が完全に顕現します。

衆生位において前七識が有漏で無明を有する以上、三大阿僧祇劫の修行によって七識の無明をすべて断尽しなければなりません。最初に降伏する無明は意識の無明であり、続いて意根の無明を降伏します。無明を断除する際、意識と意根の無明は同時に断除されます。意根は意識の俱有依であり、意識の主人かつ主導者であるため、意根が無明を断たなければ、意識が無明を断じたとしても、意根の主導作用によって再び無明が生じ、無明業を造作するからです。

我見を断じ明心した後、意識と意根は最初の無明を破除し、最初の無生忍智慧を獲得します。しかしこの時点では、第六・七識の無明は依然として重く、智慧は深さに欠け、分別性が強く残り、相当程度の我性を有しており、転識成智に至るには不十分です。牢関を過ぎ初地に入り、一部の法執を断除して無明が薄らいだ時、初めて転識成智が起こります。世俗法への分別性が弱まり、無為性が増し、空性が深まり、智慧が甚深となります。しかし五識は比較的鈍く、大智慧が現起しないため、転識成智ができません。第八識は依然として七識の無明による遮障を受け、智慧の功用がある程度制限されます。

初地菩薩が八地菩薩まで修行を進めると、第六・七識の無明が次第に破除され、無明がますます微細になり、智慧が深く鋭くなるにつれ、第二回目の転識成智が起こります。第六・七識が第三回転識成智を成し遂げると、五識が続いて転識成智します。七識すべてに無明の遮障がなくなり、業種が完全に清浄化されると、第八識は大円鏡智に転じ、一切法を照らす光明に一点の遮障もなくなり、智慧が円明となります。

——生如法師の開示
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『円覚経』抜粋

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