縁起法における六識・六塵・五根は散壊しやすいが故に、破壊されやすく、変化しやすく、断除されやすい。非縁起法である意根は散壊し難いが故に、破壊され難く、変化せず、断除され難い。意根を改変することは甚だ困難であるが故に、修行容易ならず、解脱容易ならざると説かれる。
非縁起法たる第八識は根本的に散壊せず、変異せず、改変不能であり、断除不可能である。故に修行の着手処として第八識を修したり改めたりする必要なく、ただ第八識を証得し、眼前に見るに、一切法が第八識に依存し、第八識の所産であることを知る。第八識の前においては一切法は隠蔽して現れず。かくして一切法を執取せず、第八識すら執取せず、心は大空となり、空空となる。これ即ち解脱である。
禅定なき時は、一切法を観るも依然として一切法なり。禅定ある時は、一切法を観て一切法にあらず、法の真実の相を見、法の実質と根本を見る。その後、無明滅し、心改まり、解脱す。
10
+1