衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年12月07日    土曜日     第2 回の開示 合計2074回の開示

理解と証の違い

意識によって理解される真理と、意根が禅定を通じて観行し証得した真理は、天と地ほど異なる。前者は、大いに語り、著作を多く作り、徒衆を集めても、功德を受用できず、実用価値なく、無明を破除せず、生死を解決せず、煩悩の束縛を解除できない。後者は、大いに語らず、法を講じず文章を書かず、徒衆無しでも、心は解脱し、生死を了期でき、影響力と熏染力は非常に大きい、磁場は非常に強い、摂受力も強く、一言は非常に重く、无形中でも衆生を度し、摂受する。ただ无心である。衆生は无形中で威力と威德を感知し、无意中で感化される。

真理や情報に接触しても、六識は理解できず、何を言っているのかわからない。どうして効果的に完全に真理と情報を意根に伝達できるのか?禅定なければ、六識はどうして真理と情報を意根に転交できるのか?禅定なければ、意根はどうして真理と情報を吸收消化できるのか?意根が吸收消化できなければ、どうして無明を滅し、心を明にできるのか?意根が不明なら、どうして解脱を執得できるのか?

——生如法師の開示
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