衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年11月14日    木曜日     第1 回の開示 合計2030回の開示

《首楞厳経》第五巻二十五聖円通法門之優波尼沙陀

原文:ウパニシャッドは即座より立ち上がり、仏足を頂礼して仏に申し上げた。私も仏が最初に成道された時を観じ、不浄相を観て大いなる厭離の心を起こしました。諸色の本性が不浄より生じ、白骨微塵となり虚空に帰することを悟り、空色二つながら無となって無学道を成就しました。如来は私をニシャダ(微細色)と認証されました。塵色が尽きた時、妙色は密やかに円満し、色相より阿羅漢を得ました。仏が円通を問われたので、私が証得したところでは色因が根本であります。

釈:ウパニシャッドは直ちに座より起立し、仏足を礼拝した後、仏に申し上げた。私も仏が最初に成道された後、比丘たちに説法されるのを観じ、白骨観を選んで修行しました。色身の不浄を観じ、色身への強い厭離心を起こし、一切色法の本性が不浄なる白骨相より微塵となり、次第に虚空に帰することを悟りました。空と色の二つがともに無であると悟り、四果無学を成就しました。如来は私をニシャダ(微細色)と認証されました。観行が究極に至り、六塵の色相が心中で消尽すると、微妙な色相に秘められた深遠な真実を悟り、色相より阿羅漢を証得しました。仏が円通法門を問われたので、私が証得したところでは、色身の不浄を観ずることが根本であります。

ウパニシャッドは白骨観を修め、色身の不浄を観じ、色身を白骨と観じ、更に白骨を微細な色塵と観じ、最終的に微細な色塵が消失して空無となりました。これらの観行は全て深甚な禅定の中で行われ、観じ出された白骨は定果色に属し、他者は見ることができず、ただ自らが禅定中の慧眼で見るものです。この見は肉眼によるものではなく、さもなければ他者も見えるはずです。禅定中に白骨を見た後、さらに観行を続け、白骨を虚空に近い最微細な微塵と観じ、遂には無に帰し、心中の色と空がともに無くなり、全てが空じ尽きました。これらの境界は全て定果色に属し、三昧境界であり、定と慧を具え、この三昧境界によって三界を解脱することができるのです。

禅定がなければ、これらの法を観行する際、ただ意識で想像するのみで、永遠に白骨や微塵を観じ出すことはできず、ましてや微塵を空に帰し、更に空をも空じることはできません。故に定慧等持こそが実修と呼ばれ、実修の結果のみが実証と呼ばれます。一切の法の修証は皆このようであり、他に近道はなく、禅定を避けて通ることはできません。

——生如法師の開示
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