五蘊が苦・空・無常・無我であるという道理を理解することはさほど難しくないが、問題は観念が根深く、転換が難しい点にある。仏法の一部を理解すること自体は難しくないが、難しいのは観念の転換であり、これらの法に対する真の認識である。色身が無常であり、決して我ではあり得ないことは誰もが知っているが、それは役に立たず、つまり身見を断つことができない。これは意根の古い観念があまりにも深く根ざしているため、いつまで経ってもこの考えを転換できず、この結び目を解くことができないからである。したがって、絶え間ない薫習を重ねて、その誤った思想観念を改める必要がある。
では、五蘊こそが我であるとする思想観念をどのように変えるのか。色身の生滅変異・無常という現象を徹底的に観察し、この事柄を明瞭に理解した上で、それを一点に凝縮し、深く心中に置いて意根に委ねる。こうすれば、行住坐臥において常にこのことを心に留め、座禅静坐においてもこのことを心に掛けるのである。高く深く心に留めておくのだ。もし観察が不十分で徹底していなければ、再び観察し思惟する。いつか鈍根の意根が悟りを開き、突如として理解する時が来るであろう:色身は確かに我ではない、と。そうして身見が断たれるのである。
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