もし意根が法を念じないならば、意識はどのように念じるのか?意根が所念の法と接触すると、了別を清楚に考え、如来蔵に随顺して意識が出生し、意識は意根の指令に従い、了別と意根所念の法を念じる。もし意根が法を念じないならば、法との接触もなく、了別と造作を考えず、如来蔵は意識を出生せず、さらなる念の行為もなく、意識は法を念じない。意根が何の法を念じないならば、何の法も現れず、意識所念の法は全て意根念の結果であり、意根が安排调动した結果である。意識は意根との触缘なく出生できず、意根の思心決定なく出生できず、意識は自身の出生と一切の活動を単独に決定できず、祂は作主識ではなく、不自在の故、意根の工具であり、意根の调遣に従う。
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