衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2018年10月28日    日曜日     第4 回の開示 合計966回の開示

阿羅漢涅槃後の如来蔵における業種の存在

阿羅漢は我執を断じたため、三界の世間法を執取せず、一念の無明が滅尽し、三界との縁が尽きた時に涅槃に入り、三界に再び出生することはありません。阿羅漢が未来に涅槃から再び現れるというのは、大乗法を薫習し、大乗法の種子の縁が熟したためであり、三界法の種子の縁が熟したためではありません。阿羅漢は再び三界法の種子によって三界に出生することはないのです。

では阿羅漢が涅槃に入る時、三界法の種子はまだ存在するのでしょうか。種子は能生の義であり、種子があれば必ず現行するはずですが、阿羅漢は三界の種子を現行しません。では三界の種子はどこへ行ったのでしょうか。

種子の形成は無明と願力によるものです。阿羅漢の一念の無明は消滅しており、三界の種子を形成することはなく、また阿羅漢には願力もないため、三界の種子を形成することもありません。十二因縁法において、無明が行を生じますが、この行は三界における身口意など一切の行法です。無明がなければ三界の行法は必ず消滅し、五陰身の出生も再び起こりません。阿羅漢が涅槃に入る前に薫習した大乗法は種子となり心体に宿り、彼らが大乗法に対して抱く一片の愛楽心もまた種子となり、大乗法の種子の縁を熟させる要因となります。愛楽心が深ければ深いほど縁は熟しやすく、早く熟すれば熟するほど、早く涅槃の状態から出て再び受生することになります。

阿羅漢が涅槃に入る前に、意根がもはや執取せず、大乗法の種子をUSBメモリ(如来蔵)に保存しました。未来世に再び出生する時は、USBメモリ(如来蔵)に宿った種子が成熟し、五陰世間を感召して現れるのです。

——生如法師の開示
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