「如是我聞。一時、仏は舍卫国祇树给孤独園に住していた。その時、世尊は諸比丘に告げました:色は無常である。無常は苦である。苦は非我である。非我はまた非我所である。このように観る者は、真実正観と呼ばれる。受、想、行、識も無常である。無常は苦である。苦は非我である。非我はまた非我所である。このように観る者は、真実観と呼ばれる。聖弟子がこのように観る者は、色を厭い、受、想、行、识を厭う。厭う故に楽しまず、楽しまず故に解脱を得る。解脱者には真実智が生じる。我生は尽き、梵行は立つ、所作は作され、自知不受後の時がある。諸比丘は仏の説法を聞き、喜び奉行した。」
「正しい観行五蘊において、色蘊を我とするも、色蘊を我所有とするも不可。我と我所は皆我見であり、断除が必要。心中に色蘊の我も、我の色蘊觀念も無い。日常生活中、色蘊のために不応造作的法を造作しない。例えば、色身の種々觉受を貪着する、色身が好きなものを得られず嗔を生じ、殺盗淫などの悪業は更に不応造作である。」
「我がある故に我的がある。我が無ければ、我的も無い。我と我的は皆不実で可靠せず、依赖不可。二者俱泯すれば、解脱を得る。」
2
+1