衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年10月02日    水曜日     第2 回の開示 合計1951回の開示

眼識思心所の働き

「思」とは、選択、決定、確定を意味し、一種の思択力を表します。識心が一つの法を確定した後には造作が生じます。「思」はまた、行・造作・行為・行動・運行などを示します。八識全てに思心所の作用が備わっており、すなわち思択力が必要です。了別の後には必ず選択と決定があり、決定後には実行に移されます。これが思心所の意義です。

眼識が色法を了別する際には意識の了別が不可欠であるため、眼識の思心所の運行は意識の思心所の運行を離れては成り立ちません。

例えば、意根が薬を塗りたいと思えば、薬の瓶を探すと決めます。この作業は眼識と意識が共同で行い、単独では色法を見分けられません。意根が決定を下すと、眼識と意識が現起して机の上で薬瓶を探します。机上に複数の物品があれば、意根が逐次確認を決定し、眼識と意識が各物品を順番に了別します。最終的に眼識は薬瓶の色彩に、意識は形状に定位し、統合された情報によって薬瓶と認識されます。もちろん薬瓶という概念は意識が与えます。両識の共同作業では常に意識の負担が大きく、心念も多く、分別する法も多岐にわたります。

眼識と意識が薬瓶に定位するとは、薬瓶への作意・接触・受容・了別・分別を経て、最終的に求める薬瓶と確定することです。この確定が思心所の作用であり、眼識は色彩を、意識は形状・ラベル・内容物を確定します。一切の色法の確定は意識を主とし、眼識を補とします。確定後、情報は意根に伝わり、審査思量を経て必要とする薬瓶と認めれば、取り寄せる決定を下します。これが再度の思択であり、この時眼識・意識・身識の三者和合が働き、意根を含む諸識が協働して行為造作が生じ、薬瓶を手にします。この過程は20秒程度ですが、叙述には数分を要します。

色法を了別する過程で、眼識が確定しなければ意識も確定できず、意根はさらに確定不能です。眼識が確定しても意識が不確定なら、意根は依然として確定できません。意識が確定した後、意根が再び思量審査して初めて確定する場合もあれば、依然不確定の場合もあります。その際は眼識と意識に再び、あるいは反復して了別確認させ、意根に追加情報を提供しなければ確定できません。

ある人々は修行を意識までで終わらせ、最後の重要な工程を省こうとします。それで何が成し得るでしょうか?何の役に立つでしょう?証果を意根に証させず、意識の結論に何の価値がありましょう?明心を意根に明らめさせず、意識が明かしても何の意味がありましょう?社長が決裁しなければ、部下の意見に何の効力がありましょう?中途半端な修行は無駄骨に等しいのです。最終成果を放棄して物事を中途で止めることを好む人々がいるとは驚きです。

——生如法師の開示
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