観行とは、証得以前においては思惟と呼ばれ、深細なる思惟・探究・推究・尋伺なり。証得後においては観察と呼ばれ、現前に第八識が五陰身において運作する様を観察し、万法の奥義を観察する。その中には更に深細なる思惟活動、推究活動も含まれる。証得前後の観行は必ず禅定の中にあらねばならず、禅定なきものは純粋なる意識の学習理解活動に過ぎず、思惟浅し。四聖諦の観行、第八識を尋ねる観行、幻化観の観行、陽炎観の観行、夢幻観の観行、鏡像観の観行、これらの観行智慧は層を成して進み、観行智慧は次第に深細となる。
悟りと称するものは、必ず意識と意根が自ら第八識を証得することを要す。第八識の理を理解しただけでは悟りとは言わず。それらの理は様々な経路によって知り得るが、第八識を悟るには必ず参禅によって自ら証得せねばならぬ。悟りは学び得る知識や道理ではなく、意根が自ら証得するものである。
0
+1