雑阿含経 第一卷 選講
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更新時間:2025-07-13 00:25:28
雑阿含経 第一卷 三
世尊は諸比丘に告げられた:心が色蘊(五蘊の一つ)に対し、知らず、理解せず、貪欲を断たず、貪欲から離れず、依然として自らの色蘊を貪愛しているならば、生老病死憂悲苦悩を断つことはできない。受蘊・想蘊・行蘊・識蘊に対しても、知らず、理解せず、貪欲を断たず、貪欲から離れず、心が依然として自らの受蘊・想蘊・行蘊・識蘊を貪愛しているならば、生老病死憂悲苦悩を断つことはできない。
諸比丘よ、色蘊に対してもし知ることができ、明らかに理解でき、貪欲を断つことができ、貪欲から離れることができるならば、その時はじめて生老病死憂悲苦悩を断つ能力を得る。受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の四蘊に対しても、もし知ることができ、明らかに理解でき、貪欲を断つことができ、貪欲から離れることができるならば、その時はじめて生老病死憂悲苦悩をことごとく断ち尽くす能力を得て、解脱に至ることができる。
解脱の道を修めるには、まず五蘊の概念と内実を明らかに理解し、次に時と場所を選ばず五蘊の無常・虚妄・生滅・変化・空幻・無我を観察し続けなければならない。このようにしてこそ、次第に五蘊への貪愛を減らすことができ、また我見を断つことができ、さらに初禅を発起し、五蘊への貪欲を断ち、ついにはあらゆる貪愛を断ち尽くし、一切の煩悩を断ち尽くすことができるのである。もし五蘊を明らかに理解せず、五蘊を観察せず、貪心が減らず、ましてや滅び尽くすことがなければ、生死輪廻の苦を超越することはできない。無明を破ることはすなわち「明」である。「明」があれば解脱できる。無明こそが生死である。無明を断ち尽くせば、三界の生死の苦から出離するのである。