衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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雑阿含経 第一卷 選講

作者: 釋生如 分類: 二乗解脱 更新時間: 2025-02-27 閲覧回数: 8447

雑阿含経第一巻 一

世尊は諸比丘に告げた。汝らは色蘊の無常を観ずべきである。色蘊の無常をありのままに観察できる者は、正しい観行をなす者である。もし色蘊の無常を正しく観ずるならば、色蘊に対して厭離の心が生じる。色蘊に厭離の心が生じるならば、色蘊への愛貪は断じ尽くされる。色蘊への愛貪を断じ尽くした者は、心解脱を得た者である。

次いで受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の無常を観ずべきである。受想行識の四蘊の無常をありのままに観察できる者は、正しい観行をなす者である。正しく観行する者は、四蘊に対して厭離の心が生じる。厭離の心が生じるならば、四蘊への愛貪は断じ尽くされる。四蘊への愛貪を断じ尽くした者は、心解脱を得た者である。

このように比丘よ、心解脱を得た者が自ら解脱を得たことを証明し、無余涅槃に入ろうと欲するならば、自ら証知することができる。彼は証知して言うであろう。我が無量劫の生死は今世において既に尽き、再び生死を受けることはない。我が清浄なる梵行は既に建立され、心は清浄となり、もはや諸欲を求めない。今世における所作は既に成じ、自ら知る。未来世の欲界有・色界有・無色界有を受けることなく、三界に再び生を受けることなく、命終すれば無余涅槃に入るであろう。

世尊は再び諸比丘に告げた。汝らは五蘊の苦・空・無我を観ずべきである。このように観ずる者は正しい観行をなす者である。正しく観ずる者は五蘊に厭離の心が生じる。厭離の心が生じるならば、五蘊への愛貪は断じ尽くされる。五蘊への愛貪を断じ尽くした者を、我は心解脱を得た者と説く。心解脱を得た者が自ら解脱を証知しようと欲するならば、彼は自ら証知することができる。彼は証知して言うであろう。我が生は尽き、梵行は立ち、所作は成じ、自ら知る。再び有を受けることなし。時に諸比丘は仏の説かれた教えを聞き、大いに歓喜し、信受奉行した。

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