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雑阿含経 第一卷 選講

作者: 更新時間:2025-07-13 23:51:07

雑阿含経 第一巻 一

世尊は諸比丘に告げられた。あなたがたは色蘊の無常を観じて修行すべきである。色蘊の無常をありのままに観じる者こそ、正しく観じて修行しているのである。もし色蘊の無常を正しく観じることができれば、色蘊に対して厭離の心が生じる。色蘊に対して厭離の心が生じるならば、色蘊に対する愛着と貪りは断たれる。色蘊に対する愛着と貪りが断ち尽くされた者こそ、心が解脱を得た者である。

このようにしてさらに受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の無常を観じなさい。受・想・行・識の四蘊の無常をありのままに観じる者こそ、正しく観じて修行しているのである。正しく観じて修行する者は、受・想・行・識の四蘊に対して厭離の心が生じる。厭離の心が生じる者は、受・想・行・識の四蘊に対する愛着と貪りを断ち尽くすことができる。受・想・行・識の四蘊に対する愛着と貪りが断ち尽くされた者こそ、心が解脱を得た者である。

このように、比丘よ、心が解脱を得た者は、もし自ら解脱を得たことを証明し、無余涅槃に入ることができると望むならば、自らそれを証明することができ、他者の証明を必要としない。その者は証明するであろう。『私の無量劫にわたる生死の輪廻は、この生涯において既に終わりを迎え、もはや生死は存在しない。私の清浄なる梵行は既に確立され、心は清らかとなり、もはや欲求は存在しない。この生涯における私は、なすべき解脱の業を成し遂げた。私は自ら知っている。もはや未来世における欲界の有身・色界の有身・無色界の有身を受けることはなく、三界の中に再び生まれることはない。命終われば無余涅槃に入るであろう』と。

世尊は再び諸比丘に告げられた。あなたがたは五蘊の苦・空・無我を観じて修行すべきである。このように観じ修行する者は、正しく観じて修行しているのである。正しく観じて修行することができる者は、五蘊に対して厭離の心が生じる。五蘊に対して厭離の心が生じる者は、五蘊に対する愛着と貪りを断つであろう。五蘊に対する愛着と貪りが断ち尽くされた者を、私は心が解脱を得た者であると言う。心が解脱を得た者が、もし自ら解脱を得たことを証明しようと望むならば、彼は自らを証明することができる。彼は証明するであろう。『我が生は尽き、梵行は立ち、所作は成じ、自ら知る、有を受けずと』。この時、諸比丘たちは仏の説かれた教えを聞き、大いに歓喜し、信受奉行した!

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