衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年10月25日    木曜日     第3開示 合計949開示

《大乗顕識経》講義

原文:仏が賢護を見ると、全身より光明を放ち、賢護を照らし流れた。その時、賢護は畏れを脱し、仏の周りを三度巡り、仏足を礼拝して申し上げた。「どうか世尊、哀れみをもってご教授ください。私は今まさに仏のもとで清浄な信心を得、心は妙法を慕い、お尋ねしたいことがございます。しかし私は長く生死に沈み、煩悩の苦しみに溺れ、乱れた思いが入り乱れ、戒律などの修行に励まず、冥々のうちに資糧を積むこともありませんでした。心には強く願いながらも、今この愚かさと惑い、疑いの網の中から、いかにして超え出て生死を度するべきか分かりません。世尊は一切智にして一切を遍く見通され、仏の出現は甚だ難く、まことに稀なる出遇いです。あたかも如意宝珠が衆生に楽しみを施すように、仏は大いなる如意宝であらせられます。一切の衆生は皆、仏に依ることで大安楽を得ます。仏は大いなる父母であり、衆生の善根の源です。仏という父母によってこそ、衆生は正しい道を見出すのです。どうか哀れみをもって、私の疑いと暗闇を解き明かしてください」。

仏は賢護に告げられた。「お前の疑問があるなら、思う存分尋ねるがよい。私はお前のために分別し解説しよう」。その時、賢護は仏の許しを得て、心を専らに質問を念じ、一辺に立った。

釈:賢護は世尊に申し上げた。「世尊がどうか私を哀れみ、ご教授くださいますよう。私は今まさに世尊の御許で清浄な信心を得、心は勝妙な法を聞くことを深く願い、世尊にお尋ねしたいことがございます。私は無量劫の昔から長く生死の中におり、貪瞋痴の煩悩の苦しみに沈み、心には雑念妄想が湧き起こり、戒律を修持する心もなく、資糧と道糧を蓄えることもありませんでした。心の中では生死を出離したいと強く願いながらも、今このような愚痴と疑惑の網の中から、いかにして超脱し、生死の苦海を度すべきか分かりません」。

賢護菩薩は、修行の心に放逸を生じ、戒定慧などを修めなかった懈怠の心行を懺悔したが、仏菩薩の冥々たる加護を得ていた。彼は自身の業行と貪瞋痴の煩悩を一部理解していたが、まだ完全には理解しておらず、今も心は愚痴の中にあり、真の智慧を得ておらず、多くの疑念を抱いていた。彼は自身の疑問を全て解消し、愚痴を断ち疑惑を除きたいと願った。彼は仏に、いかにして煩悩の深淵と生死の流転を超え、生死の苦海を出離するかを問うた。実は彼の疑問は、全ての初心の仏法修行者を代表する疑問であった。すなわち、いかにして生死を度し、生死輪廻の苦海を超越し、解脱を得るかという問題である。この問題を解決してこそ、仏法を学ぶ真の利益を得られるのである。

賢護菩薩はさらに続けて申し上げた。「世尊は一切智人であらせられ、一切の法を遍く見通し、また全ての衆生の根機と煩悩の根源をも了知されます。無量劫の昔から、衆生がどのような業行を造り、将来どのような果報を得るか、この一切を世尊は全てご存知です。仏がこの世に出現されることはまことに稀有で、値い遇うことが極めて難しい。仏はあたかも如意宝珠のように、衆生に一切の楽しみを施されます。仏は大いなる如意宝であらせられ、全ての衆生は仏に依ることで大安楽を得ます。仏は衆生にとって最も親しく尊い父母であり、衆生に根本的な利益をもたらし、衆生の善法の基盤です。衆生は仏という父母によって正しい道を見出し、正しい道を歩み、ついには解脱を得るのです。どうか世尊、私たちを哀れみ、心の中の疑惑と暗冥を解き明かしてください」。

——生如法師の開示
前へ前へ

《大乗顕識経》講義

次へ 次へ

《大乗顕識経》解説

ページトップへ戻る