第八識を証得した者が初めて第八識に我として執着し始め、証得していない時は、凡夫の意根は第八識を我として執着する手段がない。真に第八識を証得して開悟した後も、その後の不断の修行を経て、次第に意根の第八識への執着を断ち切ってこそ、禅宗の第三関に至り、解脱を得ることができる。
衆生がもし第八識に執着できるならば、もはや五蘊を我として執着しなくなる。第八識を証得していなければ、どうして第八識に執着できようか。各人が思い切り第八識に執着すれば、少しでも第八識に執着できるだけで、一点の真如三昧が発起し、その功徳は計り知れない。
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