衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月03日    土曜日     第3開示 合計1757開示

意根と意識の機能作用を区別するのはなぜでしょうか?

両手が一緒に動作する場合、必ず調和が取れていて、動作が同じでなければ実現できず、そうでなければ困難である。両目、両耳、両鼻、両足、両脚も同様に、動作が調和一致し、目標が一致あるいは類似していなければ容易に達成できず、そうでなければ不一致の動作は容易に完了しない。これはなぜか。両手の動作は脳が発する指令によるもので、脳は意根によって指揮制御されている。意根が手で何かを行いたいとき、指令を発し、両手は同時にそれを行わなければならない。もし意根が左右の手で同時に異なる二つのことを行いたい場合、脳が伝達する指令は二つに分かれ、意識と身識は分流し、神経系の連携は負担が大きくなる。一定期間の特殊訓練を受けた場合を除いては。

また、両目はどのように訓練しても、それぞれが別々に触れ、別々に作意し、別々に了別することはできず、分けるのは非常に難しい。両鼻も分けるのは難しく、一方が吸い一方が吐くという動作は、特殊訓練を受けた者なら可能かもしれない。両耳は比較的分けて活動させやすい。両足両脚を分けてそれぞれ単独に不調和に活動させることも比較的困難である。これが難しいのは、一つの根、一つの神経伝達システム、一つの脳指令に属しているからである。難易は意根の注意力と精力が十分かどうか、また六識の精力が足りているかどうかによる。

意根と意識の機能作用を分けることで、意根と意識のそれぞれの性能をより良く明確に理解できる。混同していると、どちらの識の性能もはっきり理解できない。意根と意識の機能作用を分けた後、意根を単独で観察すれば、意根がどのような特性を持ち、どのような煩悩があり、どのような習気があり、どのような心所法があるかを知ることができる。他人の話の頭を噛みしめる必要はなく、自ら真実の状況を観察する能力を有するのである。

——生如法師の開示
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凡夫衆生は第八識を我として執着することができるでしょうか

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