衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月31日    水曜日     第1開示 合計1741開示

意根に理を明らかにさせる最も速い方法

意根を降伏させ、変えて、意根に理を明らかにさせる最も速い方法は、意識がその理を大体理解した後、じょうの中でこれらの道理を脳裏に懸けておくことです。思惟する必要はなく、ただ静かに見守り、置いておくと、少しずつ分かってくる感じがしたり、あるいは突然分かったりします。これは意根に単独で思量 (manasikāra/manana) させた結果です。この方法は非常に役立ちます。私はいつもこのように使っており、意識による粗浅な分析研究は好みません。心の中、頭の中に懸かっている念頭は一つの疑問です。分からない問題であれば、どれでも意根のところに置いて、神様に思量 (manasikāra/manana) させます。意識は協力してもよいし、余計なことをせず干渉しなくてもよいし、普段どおり日常の雑事を処理しても構いません。意根がいつ答えを出せるかは、意根本身の智慧次第であり、じょう (samādhi) の程度如何にもかかっており、意識の協力の仕方にもよります。

心に念頭を懸けるという方法は、過去の禅宗の祖師たちがよく用いた参禅の方法であり、今の世の中でじょう (samādhi) のない人にとっては、比較的修めにくいものです。最初はなかなか入り口が見つからず、着手する場所がないと感じ、自分で絶えず揣摩し、絶えず実験する必要があります。一旦方法を会得して門に入ってしまえば、後は楽になります。以後、難問に遭遇したらこの方法を使えば、根本から問題を解決できます。多くの道理は、見たところ分かっているようでいて本当には分かっておらず、実は意根が分かっていないのであり、意識は多かれ少なかれいくらか分かっているのです。静かになって、意根に時間と精力を与え、考量させると、出てくる結果はかなり満足のいくもので、疑念がなくなります。これには意識に思考の大まかな方向があり、少しでも道理を分かっていることが必要です。定と慧の両方が優れている人は、意識が分からなくても構わず、問題を心の奥深くに懸けておけば、ほどなく分かるようになります。

じょう (samādhi) がなければ、ほとんどすべて意識による思惟となり、意根は力を出せず、思惟は一般に比較的浮浅で深く入りません。現代人は普遍的にじょう (samādhi) を欠いているため、参禅できる人はごくわずかです。しかし、参禅したことが一度もないのに悟った人もいれば、三十七道品・七覚分・四念処を一度も修めたことがないのに断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga) して証果した人もいます。このように投機的に抜け道を通るやり方では、最も大きな損失を被るのは自分自身であり、将来最も苦悩するのもやはり自分自身です。これは損して得取らずというものです。

——生如法師の開示
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意識が意根の知る所の内容を知ることができて、はじめて神通と称する

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大乗顕識経(七八)

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