衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月02日    火曜日     第3 回の開示 合計864回の開示

父子合集経選講

衆生が無智で智慧がないのは、彼らが経を聞き法を聞かないためです。見聞が少なく、佛法の真義を理解せず、世間の真理も不懂であるため、智慧がない。智慧を得たいなら、佛法を多く学び、経を多く聞き法を聞き、経蔵に深入すれば、智慧が生じます。智慧は海のように広くなります。仏語を多く信受し、経を多く聞き法を多く聞き、一つの道理を懂れば、一つの無明を破り、一様の愚痴を減らし、身口意が清净になると、内心は快樂になり、煩悩がない。

無智の凡夫は可意の触に愛楽を生じます。可意の触とは、意識が心悦楽する身体の触受で、妙触と呼ばれます。例えば、身体が柔软の衣服、温暖の陽光、舒适の床に触れる。其中最主なのは男女間の触です。欲界は主にこの触によって建立された世界です。身根身識が接触するものを触塵と呼びます。例えば、温暖舒适の陽光が身体に触れたり、冷風熱風が身体に触れたり、軟い硬いの衣服が身体に触れたり、身識が感じるので触です。触れる法は触塵です。また、餓了渴了、胃の感覚も触であり、これらも触塵です。再例えば、坐る時間が長くなると疲乏を感覚し、疲乏も触塵です。打坐時身体が軽安を感覚し、身体が極舒服を感覚する時、これらも触塵です。

凡夫衆生は最も可意の触受に貪着します、男女の触を主とする。男女が互触する時、心に愛楽心、貪爱心が生じます。心は染されます、これは第六意識の感覚を主とする貪愛です、眼識、身識も含まれます。意識心が染着を生じると業を造ります。愛楽心の次なる步骤は必然的に業を造り、業行が現れます。修行がない者は身口意の愚痴業行が現れます。ある修行者は内心雖染着有り、身口の業行を造作しない。最も修行する者は心も染着しない。造作する業行、身業は殺盗淫の三種を造ります。口業は妄語、綺語、両舌、悪口の四種有り。意業は貪嗔痴の三種です。

——生如法師の開示
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