衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年10月19日    金曜日     第1 回の開示 合計928回の開示

知解宗徒は大乗の見道菩薩ではありません

六祖は壇経の中で大衆に言いました:私は一つの物があります。頭無尾無、名無字無、背無面無。皆さんはまだ認識できますか?神会小和尚は言いました:これは諸仏の本源、神会の仏性です。六祖は言いました:あなたに名無字無と言ったのに、あなたは本源仏性と言う。将来あなたは知解宗徒だけになります。

知解宗徒とは何ですか?知和解は意識の所為です。意根が知不解なら、証ではありません。神会小和尚の意識は本源仏性を知っていますが、証得していません。六祖は彼を知解宗徒と言いました。そして将来も知解宗徒になる予測しました。佛法を解悟できるだけ、証得できない。彼が多少法や何法を講しても。

六祖と当時の全ての禅師們は、知解而不務実の修証を反对しました。情思意解を反对しました。不切实な参禅功夫を反对しました。あちこちで口舌を売弄しました。知解宗徒だけ作れる。真真正正の大乗菩薩になれません。現在衆生の根器は更浮躁です。更不務実です。根本禅定を修しないです。現代信息技术は发达です。多くの人は何でも知っています。何でも証得できないです。

可见、意識が多少佛法を知っていても無用です。祖师から叱られるままです。解脱に丝毫の利益もできないです。功夫を下しなければ。真修实证。老老实実に禅定を修します。止観を修します。老老实実に参禅悟道します。小聪明を耍しないです。佛学知识を売弄しないです。三蔵十二部経を知っていても。背诵しても。三蔵十二部経を講できるても。脚踏实地的实证一个無我来得实际不如です。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

世間の一切法は得ることも所有することもできない

次の記事 次の記事

究竟の解脱と不究竟の解脱の違い

ページのトップへ戻る