衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月03日    月曜日     第1開示 合計1574開示

四念処観は証果の近道である

問:なぜ仏は七年から七日までの異なる期間において、四念処観を精進修行すれば果を証できると説いたのですか?

答:これは善根が深厚で、煩悩が軽微であり、遮障が少なく、前世で仏法を学んだ時間が長い人々を指しています。彼らがもし仏の要求されたように精進修行すれば、数日から数年で果を証することができます。一方、無始劫以来仏法を学んだ時間が短く、煩悩が深重で、遮障が重い人は、七年以上の精進修行を経て初めて果を証することができます。おそらく大多数の人は百年経っても果を証できず、中には呼吸の観察すらうまく観られず、心がどうしても静まらず、まして果を証するなど論外という人もいます。

しかしまた仏が説かれたように、どのような人であれ、ただ四念処観を精進修行し、心心念念がことごとく四念処であり、心心念念において観行 (vipaśyanā-caryā) ができるなら、無始劫以来の五陰世間に対する攀縁の習気を変え、煩悩と業障を降伏すれば、果を証することはやはり難しくありません。難しいのは業障の関を越えられないことであり、自ら決心して用功弁道しようとせず、散乱の習気を降伏できないことにあります。真に勇猛精進することができ、仏経に説かれているような修行を実践できるなら、必ず果を証することができるのです。

この四念処観の修行方法は非常に殊勝です。皆さんは小乗の修行を軽んじてはなりません。実はこれこそ修行の近道なのです。仏の説かれた近道こそ真に修行の近道であり、戒定慧が具足し、実修実証であり、口先だけの功夫ではなく、情思意解でもなく、ちょっと考えたり思案したりするだけで果を証できるというようなものではありません。

仏が私たちに教え授けてくださった修行方法の中から、何こそが真の実修と実証なのか、どのような代償を払う必要があるのかを体得すべきです。一部の人が想像するように、意識心理で理解するだけで、いかなる代償も払わず、いかなる戒も守らず、いかなる定も修めず、意識で理解した乾慧だけで果を証したことになるというのではありません。

私たちは仏陀の智慧を深く信じ、仏陀の教えに従うことで、はじめて自身の修行に大きな利益をもたらすことができるのです。

——生如法師の開示
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