衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月17日    水曜日     第1 回の開示 合計921回の開示

意識の解より意根の証はるかに難し

(六)意識は常に意根を熏染し、意根の固有の認知と观念を変更することを目指す。意識は全ての法を理解することは難しくないが、難しさは意根の理解と認知にある。故、意根の观念を変更することは非常に困難である。一旦意根の观念が変更されれば、証果は容易に達成できることとなり、明心見性及び各種観行も容易に達成できることとなる。意根一旦証果すれば、その思想观念も瞬時に変更される。

意識が理解し再び意根を熏习することは前提であり、后续の仕事、即ち最主要の仕事は、意根自身に参究思量させた後、才能亲証することである。此の程序無ければ、全ては解である。古語に云わく:三歳の子供は言えるが、八十歳の老人は実行できない。ある人々は話す佛地境界に到達でき、佛の証量を自身の証量として扱う。しかし、自身真に証得と実行する時、既に成佛矣。即ち、意思は理解問題は非常に容易であるが、真証得は難上難である。故、圣人は稀有甚稀有であり、有些人のように、两本書を読み、理解理解一圣人即横空出世することではない。

——生如法師の開示
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意根と業種子の相応

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