菩提心には二種あり。一つは先天的に不生不滅なる菩提心にして、一切衆生の一切善法の依止処となる、これは自性本心、有為にして無為なる第八識を指す。もう一つは後天的に諸善法を修して生じた自他共に度せんとする菩提心、これは七識心が菩提自性を依止として発する生滅性あるもの、有為より次第に無為に趨くものである。
衆生が最初に菩提心を発する時は往々にして純粋無垢なり。しかし長き修道の過程において、自らの最初の発心を忘失する可能性あり。善法を修するもその目的は純粋ならず、私念と私欲を交え、自性菩提と最初の発心に背くこととなる。これらの私念私欲は個人の利益を指向するものに顕現し、無私なる仏教と衆生のためのものではなく、自己の私利が仏教全体と衆生の利益に優越する状態となる。
かかる私心を以て衆生を度する善法を修するは、魔の性質を含有することとなる。魔王と魔民は強烈なる貪欲を有する故、善事を行わざるにあらずといえども、善事を行う目的は純粋ならず、利益は個人に在り、結果として往々にして不善となる。善の表面に悪の実質が隠れている。故に個人及び小団体の利益を目的とする善業は全て魔業となるのである。
16
+1