衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月02日    火曜日     第1 回の開示 合計862回の開示

『父子合集経選講』

仏は言われた「大王よ、その通りです。その通りです。愚痴なる異生は、少聞にして智なきが故に、意に適う触れに愛楽を生じ、心に染着を起こし、かくの如き業を造ります。身業三種、語業四種、意業三種、彼の業を造作します。刹那刹那に遷謝し、この業滅びた後は、東方にも南方西方北方、四維上下、中間にも依らずして止住します。命終の時に至り、先に作った所の業を見、心想の中に現じます。あたかも目覚めて夢中の事を憶うが如し。最後の識が滅する時、自業が現前します」

釈して曰く、仏は言われた:大王、まことにその通りです。愚痴なる異生の凡夫たちは、少聞にして智慧なく、自ら喜楽する触れの境に愛楽を生じ、心に貪染の欲触を起こし、愚痴の業を造作します。身三・口四・意三の悪業が現れます。これらの業を造作した後、業行は刹那刹那に遷り滅します。業行が滅びた後は、東南西北・四維上下の何方にも依らずに存在しません。しかし命終の時には、自らがかつてなした業を見、心中に現じます。あたかも人が睡眠から覚めて夢中の事を憶う如く、最後に六識が滅する時、業報が現前します。

愚痴とは無明のこと、何も分からないことです。五陰が何たるかを知らず、五陰の虚妄も知らず、万法の虚妄も知らず、この仮の我が組み合わせによるものと知らず、どう破除するかも知らず、どう六道輪廻を脱するかも知らず、どう菩薩の果位を証するかも知らず、どう自らの本来の面目たる自性清浄心を証得するかも知らず、ましてや如何に成仏するか、全てを知らない。これを愚痴・無明と申します。

現に生きている生命体が、この寿命を終える時、次なる時は別の場所に、習気業力に相応じたその道に再び生まれます。時と場所と色身が改まることを異と申します。衆生死後は往々にして身体・時間・身分・場所・生活空間の全てが変わります。餓鬼には餓鬼の空間、阿修羅には阿修羅の空間、地獄には地獄の空間、天人には天人の空間があり、畜生は人間と共にこの地球表面におりますが、生存環境はやはり異なります。生存環境が変わり、別の生命形態に変わること、これを異生と申します。

——生如法師の開示
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