衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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日常法話

2026年07月30日    木曜日     第1開示 合計4791開示

意根の作意は意識運行の条件の一つである

七識は万法を了別し、修学仏法においても作意心所法の生起があり、その中で意根の作意が主となり、意根の作意によって六識の作意が引き起こされる。意根の作意には前提条件があり、因縁の条件が必要である。因縁の条件が異なれば、その作意も異なる。興味があれば貪着する作意を起こし、興味がなく嫌なものであれば、すぐに遠ざかる作意を起こす。重要でないと思えば、作意した後に再び触れることはない。

意根は常に、あらゆる場所で作意している。作意には軽重や時間の長短の違いがあり、これは意識の出生に一定の影響を与える。意識が出生する前提条件は、第八識、意根の作意、業種、自識の種子、法塵である。意根が法塵と触れ合い、思心所が生起して法塵を具体的に了別しようと欲するとき、第八識が初めて意識を出生させて法塵を了別させる。もし意根が作意しなければ、法塵に対して注意を払わず重視しないことであり、思心所が生起して法塵を了別しようと欲することもなく、第八識が自ら進んで意識を出生させて法塵を了別させることもない。

意根は一切の法に遍縁し、一切の法を縁することができる。作意・触・受・想・思の心所法も刹那刹那に意根に従うが、意根は選択することができる。ある法塵には作意せず、ある法塵には必ず作意する。重要な法塵には作意する時間を長くし、繰り返し作意し、重点的に作意し、そして繰り返し触・受・想し、重点的に思し、繰り返し思量し、長期間思量する。そうすれば意識は繰り返し絶え間なく了別し、作意・触・受・想・思を重点的に行うことになる。

意識の活動と思量はすべて意根を中心として、意根に従い、意根の指揮を受ける。意根が重要だと思えば、意識は重点的に了別する。意根が興味を持てば、意識は絶え間なく了別する。意根がそれほど重視しなければ、意識は軽く了別する。意根が避けたいと思えば、意識は必然的に避けて了別せず、第八識は意識を出生させない。しかし意根の慣性の力が非常に強いため、意識が非常に避けたい法塵、了別したくない法塵であっても、意根も避けたいと思っているが、慣性の力のためにかえって避けられず、法塵は必ず意識の心の中に現れる。

ある六塵の境界は、六識が全く了別したくなくても、それでも六識の心の中に入ってくる。意根の普遍的な攀縁性のためであり、習性が根深く、攀縁を避けようと努力しても避けられない。時には避けようと努力すればするほど、かえって避けられず、了別がさらに重くなる。これは意根の慣性の力が強すぎるためであり、無意識のうちに法塵に触れ、法塵に作意してしまうのである。多くの場合、六塵に興味があるからではなく、漫然と目的もなく攀縁し作意するのである。習慣的に目的もなく作意することは、意根の散乱であり、意識の散乱を引き起こし、身心を収めず、心を落ち着けて安らかにすることもできない。このような意根は、意識が絶えず導き、絶えず呵責し教化して、徐々に意根を驯えていく必要がある。

——生如法師の開示
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作意心所法(manaskāra-caitta-dharma)はいかに生起するのか

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意根は何に依拠して法に対して作意を生起するのか?

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