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日常法話

2026年07月29日    水曜日     第1開示 合計4790開示

作意心所法(manaskāra-caitta-dharma)はいかに生起するのか

識心が法に対して作意するのは非常に複雑なプロセスであり、はっきりと観察するのは容易ではない。最初に法に対する作意は種子位にあり、すなわち識種子がまだ送り出されておらず、識心がまだ生まれていない時である。なぜなら、識種子が生まれようとする時には、生まれる場所と作意する方位が必要であり、この方向と場所が作意の対象であり、法の在り処だからである。

例えばバスケットボールをする時、ボールをバスケットのリングに投げるには、目でリングの方向を狙って投げなければならず、他の方向に投げてはならない。この方向が作意の場所に相当し、すなわちリングである。そのうち、バスケットボールは識種子に相当し、人は識心に相当し、狙うことは作意に相当する。手でボールを持つ時、目標はリングの方向に向けるべきであり、投げる時は手をリングの方向に合わせ、この方向に向かって投げる準備をする必要がある。それでは、識種子が如来蔵の中で生まれる前も同じであり、生まれる方位も必要であり、すべての識種子は生まれる前に作意を持っている。識心がある場所で生まれ、ある法の上で生まれるなら、その法の処に対して作意しなければならない。

識種子が生まれた後、識心は相続して絶えず作意し続ける。なぜなら、識心がある法の上で持続的に作用する時、この法に対してずっと作意し続けなければならず、もし作意しなくなれば、識種子の輸送は方位を転換し、他の心所法である触・受・想・思はもはや現れなくなるからである。したがって、識心がある法の了別に対して持続的に作意して初めて相続していくことができ、一度作意しなければ、その後の触・受・想・思はない。作意心所法は非常に重要であり、もし作意心所法がなければ、他の心所法も現れず、その法に対しては識心の作用がなくなる。

——生如法師の開示
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意根の作意心所法はいかにして引き起こされるのか

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意根の作意は意識運行の条件の一つである

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