衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年06月21日    日曜日     第1開示 合計4749開示

意根心所法 まえがき

現代科学は心理学を含めて、すべて仮説に基づき、それに実験を加え、論理的推論・演繹・帰納を用いています。最終的に演繹と帰納の結論が実験と一致すれば、成果が生まれるのです。これは宗教とは無関係な仮説と実験であり、もちろん、彼らに宗教的信仰があれば話は別です。宗教的信仰があれば、おそらくそのような成果はそもそも出せないでしょう。なぜなら、数千年にわたる宗教崇拝に手足を縛られてしまい、宗教では前人を超えることが許されないからです。一旦誰かが大師と見なされると、それは絶対的な標竿となり、永遠に正しいものとされ、間違っていても正しいとされ、後の人々はただその足元に頂礼拝膜するしかなく、すべての知恵をことごとく抑え込まれ、才能と知恵を封鎖され、その見地や思想観念は絶対に前人の大師と異なってはならず、ましてや超越し突破することなど到底許されないのです。

宗教の外の仁人志士が成果を重ねられるのは、権威の束縛がないからです。西洋心理学は学理が明確で深いだけでなく、応用を重視し、社会学、神学、医療、心身の発展など様々な方面に応用されており、その成果は驚くべきものがあります。ところが私たち仏教界はそうではありません。仏教界は昔から名声と権威を重んじ、誰かが大きな名声を得さえすれば、安定した地位と威望を持ち、衆生はその人を神明のように奉じ、もはや理智をもって自分の頭で何かを考えることがなくなり、盲目的な崇拝のために自分の頭を禁錮し閉鎖してしまい、突破的な実証ができなくなります。こうして前人の誤りは未来世まで延々と続き、もともと知恵の足りない衆生をいっそう愚痴にしてしまうのです。

唯識における意根と心所法のこの部分の内容については、大多数の人が何ら実証を持たず、意根を現量で観察できず、甚深な法義に対して弁別能力がないため、あちこちで曖昧模糊な理論知識を熏習して、自分はもう分かったと思い込み、学んで得た理論を正誤にかかわらずレバーや物差しとして設置し、あちこちで度量しては、足を削って履に合わせるように、仏法の精華である唯識理論をいっそう曖昧なものにし、多くの人の両目を覆い隠して、誰も誤区から抜け出せないようにしてしまいました。唯識と意根の現量観行は、地上菩薩の智慧境界であり、開悟した三賢位の菩薩でさえ現量観行はできず、ただ相似にいくらか理解できるだけです。まして証悟までどれほど遠いのか分からない凡夫においては、なおのこと意根の働きを現量で観察することなどできません。

意根の心所法は検証が非常に難しいものですが、修学の時間が長くなれば、意識と意根の差異を見分けられるようになり、さらに禅定を加えることで、意根の働きのほんの一部を現量観行できるようになるのは、それほど難しいことではないはずです。これらは唯識種智の部分に属するとはいえ、正しく導いてくれる人がいて、正しい理論の導きがあり、禅定と観行慧があれば、実証は可能なのです。世俗の心理学者でさえ一定の観察智慧を持ち、相対的に合理的な結論を導き出しているのですから、まして大乗法を学ぶ私たち仏弟子においてはなおさらです。

禅定と智慧が比較的深い人、権威に禁錮されたくない人は、現量観察智を持つ善知識の指導の下で、意根の心行の一部を観行することもできます。基本概念と理路を把握し、禅定力が強ければ、自分と他人の心理を観察することを通じて、意識と意根をはっきりと見分けることができ、これもそれほど難しいことではありません。問題は、現在の学仏者は一般に定力が十分でなく、智慧はさらに不足していることであり、これはなかなか難しいことです。世俗法における各分野の研究者、钻研の精神を持つ人は、探索に取り組む際の定力は実はなかなかのものであり、だからこそいくつかの成果を探索し出せるのです。彼らが如来蔵の法を信受し、さらに如来蔵を証得できれば、その智慧は大したものになるでしょう。しかし彼らは善根と福德が欠けており、仏門に帰依せず、三宝に帰依せず、仏法を正しく信じることができず、不生不滅の理を把握することができないのです。

一方、唯識種智を持つ人は、仏法と社会生活の各分野を有機的に結びつけることができ、社会生活の中から仏法を抽出することもでき、唯識の理論を用いて現実生活に存在する問題を効果的に解決し、仏法によって人類と社会に貢献することができます。仏法は社会生活のあらゆる方面に関わっており、とりわけ唯識学はなおさらそうであり、これらの世俗法から切り離されることはあり得ません。世俗界から離れてしまえば、仏法もなく、唯識もないのです。現在の唯識研究者は実際から遊離し、自分や衆生の身心世界と対応させることなく、書物を暗記し既存の理論知識を踏襲することしか知らず、自他の心理状態すら把握できないため、唯識の甚深な法を実証することは不可能なのです。


——生如法師の開示
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