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日常法話

2026年06月03日    水曜日     第1開示 合計4731開示

金剛経講解・浄心行善分第二十三

原文:复次。须菩提。是法平等。无有高下。是名阿耨多罗三藐三菩提。

解釈:続けて説きます。須菩提よ、世間のすべての一切法は、みな平等であって、高下の差別はありません。このような境界を証得することを、阿耨多羅三藐三菩提と名づけます。すなわち、無上の仏道を得成したということです。

「是法」とは、三界世間のすべての一切法を指します。法と称されるもの、存在するすべての法相は、点滴も漏れることなく、みな平等一如であり、高下がなく、差別がなく、全体がすなわち真如です。真如の理体という角度から観察すれば、一切の法相はみな平等な真心理体であり、二相がありません。このような大智慧が生まれ出ることを、仮に阿耨多羅三藐三菩提を得成したと名づけるのです。

世尊はなぜこのように説かれるのでしょうか。仏が成道の時、仏の第七識はすでに徹底的に平等性智へと転変しており、世間・出世間の一切法に対する認知は、すでに究竟徹底した平等に達していて、一毫たりとも不平等な心智がありません。まず、仏の最究竟最無上の第六識 (manovijñāna) である妙観察智から言えば、三界世間の一切万法を観察すると、みな実相心 (dharmatā-citta) である真如の働きに基づいて生み出された一切の法相であり、その実質はみな本体の真如です。

黄金で打ち作られたすべての黄金製品のように、すべての装飾品、すべての日用器皿、そして各種の人物画を含め、黄金で作られたすべての物品は、その本質がみな黄金であって、他の物はありません。黄金の装飾品であれ、黄金で塑造された各種の人物画であれ、みな黄金であり、黄金として使用し流通させることができます。もし人がいて、黄金を見ず、物品の相貌だけを見るならば、この人はすなわち仮相に執して品物の真価を識らない人です。真金の貴重さを知らず、金を捨てて仮相を取る、この人を無智の人と名づけます。世間の凡夫もまたこのようであり、世間の一切の虚妄相だけを見て、虚妄相の実質を見ず、名相に執着して本質を識りません。そのため愚痴で相に執着し、六道の生死輪回に尽きることがなく、苦痛がやむことがありません。甚だ憐れむべきことです。

仏の妙観察智は、一切法がみな真如であることを見るだけでなく、現観することができ、真如がどのように心体の中の種子を流注して、三界世間の一切万法の相を成就したのかを見ることができます。したがって、仏の第七識である平等性智は、三界世間のすべての衆生を平等に扱うことができ、その高低貴賤の差別相を分別することがありません。仏は一切の衆生を平等に見て、みな如来の智慧徳相を具えており、みな因地の仏であり、未来の時日にみな円満に果地の覚を成就すると見ています。そのため仏は衆生に対して無縁大慈を生起し、広く有情を利益されます。衆生の根が熟しさえすれば、衆生が善であれ悪であれ、みな平等に法食を施与し、度して得道解脱させられるのです。

原文:以无我无人无众生无寿者。修一切善法。即得阿耨多罗三藐三菩提。

解釈:衆生が内心の中に我相・人相・衆生相・寿者相を執着せず、無我相・無人相・無衆生相・無寿者相の心行をもって、世間・出世間の一切の善法を修行すれば、阿耨多羅三藐三菩提を得成することになります。

世尊は金剛経の開篇まもなく、衆生のために四相を破られました。四相を破った菩薩だけが、金剛般若 (prajñā) の理体と相応することができ、諸法実相と相応することができ、真如と相応することができ、最終的には阿耨多羅三藐三菩提と相応することになるのです。衆生は無始劫以来、ずっと四相に執着しており、空性 (śūnyatā) の理体と相応しないため、四相のために広く無量無辺の悪業を造り、積劫生死業海中に沈没して、無量の苦を受け、出離の期がありません。その根源は四相を執着する病にあります。世尊は大慈をもって、衆生の相に著しく相に執する病根を掘り起こすために、巧みに種々の方便を設けて、衆生の四相を破除されます。四相がなくなれば、生死の大火坑を出離することができるからです。

なぜ四相がなければ生死の大火坑を出離できるのでしょうか。小乗法の角度から言えば、衆生は我相を破除できさえすれば、三悪道を出離します。自我の五陰 (pañca-skandha) 身および三界世間法に対する執着を断除できるまで修行した時には、六道の生死輪回を出離する能力があり、これで分段生死 (pariccheda-maraṇa) の火坑を出離し、暫時休歇を得ます。衆生が引き続き菩薩道と仏道へ進修した後には、次第に種々の法執を破除し、種々の変易生死 (parināma-maraṇa) を断除し、涅槃の真浄を証得し、この時から生死がまったくなくなり、生死の大火坑こそ、真に徹底的に出離したことになるのです。

菩薩道と仏道に入る起点は、本来四相のない金剛般若の真如心体を証得することにあります。この四相のない理体に依って起修すれば、内心は次第に清浄 (viśuddha/pariśuddha) になっていき、世間の一切の有為法相を破除し、真如の相さえも執着せず、内心は空浄にして極めて空浄であり、一糸ほどの法相の存在と執着も無余に取り去られます。このようにして初めて真如心体と徹底的に相応することができ、最終的には円満に仏道を成就し、阿耨多羅三藐三菩提を得るのです。だから世尊は、無我・無人・無衆生・無寿者をもって一切の善法を修行し、真如の体性と相応してこそ、阿耨多羅三藐三菩提を成就できると説かれたのです。

原文:须菩提。所言善法者。如来说即非善法。是名善法。

解釈:須菩提よ、私の説く善法も、衆生たちが認める善法も、如来から言えばこれもまた善法ではなく、実際の意味における善と法はなく、みな一種の表相にすぎません。それゆえ仮に善法と名づけるのです。

善法は多くの階層と内容に分けられ、世俗の善法もあれば、出世間の善法もあり、小善法もあれば、大善法もあり、さらに究竟の意味における善法もあります。世間の善法とは、五戒十善です。世尊が最初に娑婆世界に到られた時、まず人天善法を説かれ、衆生にこれに依って修行させ、世間の福德を得させられました。これは小善です。衆生が世間の福德を得た後、初めて引き続き世尊に従って阿含解脱道を修学し、三界世間の苦を出離することができます。これは中善です。続いて世尊はまた二十余年の歳月をかけて、衆生のために般若の理を宣示し、衆生にこれに依って修行させ、みな般若実相を証得させ、真実義の菩薩とならせ、それから種々の甚深な般若智慧を発起させました。これは上善です。その後、世尊はまた方広唯識の甚深な義理を宣説し、大乗の菩薩たちを度化して漸次甚深な道種智を具えさせました。これは大善です。最後に世尊はさらに法華・涅槃など一仏乗の究竟義を宣講され、すべての衆生を度化して、みな成仏の道に入らしめ、成仏の法を修行させ、究竟円満の仏果に達せしめられました。これは究竟の善です。

これらの善法は、みな相応する法相を有しており、これらの法相は、みな四相のない無相の心体である如来蔵 (tathāgatagarbha) に依って顕現し幻化されたものです。これらの法相は、みな如来蔵が種々の縁に依って種子を流注することによって成就されたものです。表相は有であって、衆生には見ることができますが、有は実有ではなく、相は真相ではなく、その本質は真如如来蔵であり、みな真如の一真法界中の物であり、真如の外に出ることはありません。すべての善法相は、黄金の器のように、みな黄金から来たものであり、本質はみな黄金如来蔵です。したがって、みな一つの真実の法界――真如の体なのです。そこで、これらすべての善法の仮相、実有ではない法に、善法と名づけるのです。名は善法とはいえ、実質は真如の理体です。


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