衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年05月10日    日曜日     第1開示 合計4707開示

五識はなぜ成仏に臨む時に初めて転変するのか?

六七因中に転じ、五八果上に円ず。これは、六七識は修行の過程で絶えず転変していくが、五識と八識は最後に成仏した時に初めて転変して円満になると言う意味である。過程は因地であり、成仏は果地である。この因から果に至る過程において、六七識の根本的な転変は三度経験し、漸進的な転変は無数回経験する。なぜ六七識は無数の漸進的な転変を経て、最後に智慧円満になって成仏する必要があるのか。それは、六七識が一切の無明煩悩を具足しているため、修行において絶えず無明を取り除き煩悩を断じ、内心の染汚性を浄化し続けると同時に、福徳と清浄な智慧を絶えず増大させていく必要があるからである。

このことから分かるように、六七識は煩悩性を具足しているが、最終的には清浄性、菩提性、涅槃性も具足するのである。これは、六七識が善悪の心所法を具足していることを示しており、両者は単に無記性だけではない。もしそうでなければ、このように長い時劫にわたって修行することはできず、修行の必要もないかもしれない。

では、なぜ五識は修行の過程において絶えず転変しないのだろうか。それは、五識が完全に意根に付属しており、意根が塵境を了別・処理するために用いる道具であり、完全に意根に奉仕し従属していて、独自の独立性を持たないためである。したがって、五識には善悪性がなく、善を修め悪を断つ必要もなく、心性が転変することもなく、転変する必要もないのである。しかし、六七識は福慧が具足せず、階位が低いため、彼らが有する付随的な五識の道具の機能も低く、成す事業も完善円満ではない。成仏に臨む時、六七識の福慧が円満になり、功徳が円満になり、心性が円明になると、彼らが使用する付随的な道具も自然に最高等級に昇格し、六七識が一切の事業を円満に成就し、障害がないように補助することができる。このように、五識は意根の功徳と配套して相符しなければならず、五識の識性が成所智性に転変し、功徳は非常に殊勝である。

——生如法師の開示
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意根は有覆なるも善悪無記の三属性を有す

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金剛経講解.一切法皆是仏法

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