五識が所縁とするのは性境であり、実在する五大の種子が和合して成る実境である。意識が所縁とするのは帯質境であり、性境に依って顕現し、性境に対する補足説明に相当するため、虚境・仮境である。性境を離れては帯質境は存在せず、先に性境があり、後に帯質境がある。故に五識が先に生じて性境を了別し、顕境が先に眼前に現れ、意識が後に生じて帯質境を了別し、形色・表色が後に現れ、独頭意識が了別する無表色が最後に現れる。もし五識が未だ性境を了別していないならば、意識は何に依って帯質境を了別し得るのか。帯質境は誰の質を帯びているのか。質が無ければ、帯質境とは成り得ない。故に必ず先に五識が生じて性境を了別し、それによって意識が生じて帯質境を了別するのである。両者が共に六塵境を了別した後、独頭意識が生起し、帯質境に対して思惟分析、定義考量、総括帰納などを行い、情報処理を為す。そして意根に伝達し、意根に選択決定を為させる。
もし意根が単に境界を了別することだけを望み、他の考えが無く、心が比較的清らかであるならば、五識と五倶意識が共に境界を了別し、境界が何であるかを知って意根に伝達すれば足り、独頭意識は出現する必要が無く、種々の思惟分析や種々の憶測を行うことも無い。六識はただ単に了別し、ただ単に知るだけで、それ以上の考えや心念は無い。修定とは、まず独頭意識の内心活動を取り除き、独頭意識を出現させないようにし、境界に対して漠然と知るだけにし、最後には次第に知らず、分別せず、了別しなくなり、心が静まるのである。ある人が修定する際、五識と五倶意識を閉ざすが、独頭意識は上下五千年を漂い、止まることを肯んぜず、心が静まらなくなり、最後には六識が境界に触れて境界を了別せざるを得なくなり、定に入れなくなる。故に独頭意識は五倶意識や五識よりも調伏し難いのである。
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