衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年04月28日    火曜日     第1開示 合計4695開示

なぜ五識は意識より先に生まれるのか?

五識が所縁とするのは性境であり、実五大の種子が和合して成るもので、実境である。意識が所縁とするのは帯質境であり、性境に依拠して顕現し、性境に対する補足説明に相当する。したがって、虚境・仮境であり、性境を離れては帯質境は存在しない。先に性境があり、後から帯質境がある。したがって、五識が先に生起して性境を了別し、顕境が先に眼前に現れる。意識が後から生起して帯質境を了別し、形色・表色が後から現れる。独頭意識が了別する無表色は最後に現れる。もし五識がまだ性境を了別していないなら、意識は何に依拠して帯質境を了別できるのか?帯質境は誰の質を帯びているのか?質が無ければ、帯質境とは成らない。したがって、まず五識によって性境の了別が生じ、それから意識が帯質境の了別を生じる。両者が共同して六塵境を了別した後、独頭意識が生起し、帯質境に対して思惟分析、定義考量、総括帰納などを行い、情報処理をする。そして意根に送り、意根に取捨選択をさせる。

もし意根がただ単純に境界を了別したいだけで、他の考えが無く、心が比較的清浄であれば、五識と五俱意識が共同して境界を了別し、境界が何であるかを知って意根に送ればよい。独頭意識が現れる必要はなく、様々な思惟分析や種々の憶測をする必要もない。六識はただ単純に了別し、単純に知るだけで、それ以上の考えや心念はない。修定においてまず重要なのは、独頭意識の内心活動を取り除き、独頭意識を出現させないことである。境に対して漠然と知り、最後には次第に知らず、分別せず、了別しなくなり、心は静かになる。ある人は修定の際に五識と五俱意識を閉じるが、独頭意識が上下五千年を漂移し、止まろうとしないため、心は静まらず、最後には六識が境界に接触して境界を了別しなければならなくなり、定に入れない。したがって、独頭意識は五俱意識や五識よりも調伏が難しい。

——生如法師の開示
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