衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年02月27日    金曜日     第3開示 合計4629開示

独頭意識でなければ念頭を持つことはできない

問:前五識および五倶意識の見分の機能による了知・了別は思いではなく、独頭意識の見分の機能による分別・思考などが思いである、ということでよろしいでしょうか?

答:思いとは、思想、考え、計画、気にかけること、考量などの思想活動を指します。これは第七識と独頭意識が持つ機能・作用であり、五倶意識が持つ機能・作用ではありません。五倶意識は五識とともに五塵の境に触れ、五塵の境を了別します。その基礎の上で、独頭意識が五倶意識の了別した法塵に対して思惟・分析・判断・決択などの活動を行います。思惟・分析する心の思いは五塵の上にはなく、五塵から離れた独影境です。だからこそ独頭意識には思いがあり、五倶意識には思いがありません。五倶意識は五塵と五識から離れることができず、単独では活動できないからです。

独頭意識は比量と非量の了別作用を起こし、その対する境界は独影境であり、眼前の境界から離れており、現前に眼前に存在する法ではありません。一方、五倶意識は現量の了別であり、了別するのは常に現前に存在する法です。もし眼前に法が存在しなければ、前五識と五倶意識は現れません。そして五倶意識が現前に存在する法を了別している時に、独頭意識はこれに基づいて、眼前に存在しない他の法について比量で思惟したり、あるいは非量の回想や空想、とりとめのない妄想を働かせたりします。五倶意識が存在しない場合、独頭意識が思惟する法はなおさら現前の法とは関わりがなく、たとえ五倶意識が現前の法を了別している時であっても、独頭意識はやはり現在の境界を離れてとりとめのない妄想を働かせることができます。五倶意識と独頭意識のこの二者を合わせて、意識には三種の了別があると言います。すなわち現量、比量、非量です。

——生如法師の開示
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金剛経講解.能浄業障分第十六

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意根と意識の修証における関係

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