衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月09日    土曜日     第2開示 合計1322開示

意識の現量と非量

意識の現量とは、知ることの正しさが現量であり、理解する法が如実に誤りなきことが現量である。事実に符合することが現量であり、真理に到達することが現量である。比較することなく知り、知ることの正しさが現量であり、想像や幻想を交えることなく知り、知ることの正しさが実際の状況に符合することが現量である。もし意識がすべて現量であるならば、意根の非量は必ずそれに伴って転じ、あらゆる法を如実に知るに至るであろう。

目でリンゴを見ながら、それを梨だと思うのは非量であり、現量ではない。開眼して虚言を言うことは非量である。幼少期の出来事を回想し、一つの事柄を理解するのもまた現量である。前世の色身が我ならず、後世の色身が我ならぬと観察し、その観察が正しい時、それが現量である。一つの神通智で無数劫以前の人々や事柄を知ることは現量であり、無数劫後のことを知ることも現量である。

(注:佛教术语处理说明) - 現量:仏教認識論(因明)における直接知覚を指す標準訳 - 非量:誤った認識を指す因明用語 - 如実:ありのままに(tathatāの訳語) - 意根:manasを指す認識器官 - 色身:物質的身体(rūpakāya) - 劫:kalpa(宇宙論的時間単位) - 神通智:超自然的認識能力(abhijñā)
——生如法師の開示
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