衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年02月15日    日曜日     第1開示 合計4611開示

受覚は錯覚の原因

問:足を刀で切られた場合、足の触塵が後脳の勝義根 (indriya) に伝導され、根と塵が相触れて身識と意識が生じ、三者の和合触によって痛みを感じる。身体の痛みの感覚はすべて後脳の勝義根 (indriya) のそこで生じ、浮塵根である足には覚受がなく痛みもない、と理解し受け入れることができます。しかし、実際の痛みの感覚は刀で切られた足の部位にあり、後脳の部位には痛みの感覚がありません。禅定観照の能力を欠いている私にとって、どのように仏法でこれを解釈すればよいのでしょうか?

答:身体の各部位のさまざまな状況、さまざまな塵境は、すべて神経を通じて勝義根 (indriya) 内の相応する位置に伝導されなければならず、こうして識心が生じて相応する塵境を領受することになります。識心が勝義根 (indriya) 内で了別するので、触受はすべて勝義根内にあります。受は識心の受である以上、勝義根と浮塵根という二つの色法には当然受覚はなく、痛みを感じることはありません。痛みの感覚は必ず勝義根 (indriya) 内の識心のところにあるのです。識心が感じる勝義根の部位は、浮塵に相応する身体の部位と対応しており、その部位が痛いと感じるのですが、実は浮塵根に対応する勝義根のそこの識心が痛いと感じているのです。

ですから、受覚はすべて錯覚だと言えます。この錯覚はいつになったら消えて現れなくなるのでしょうか? 四禅定を証得したのち、色陰区宇を突破したときに初めて感受の受覚を滅することができ、そのときには身体がたとえ刀で切られ、火で焼かれ、四肢を切り分けられても痛みを感じることはありません。このときにはすでに色陰区宇を超越しており、色身は識心に対して障害がなく、識心に影響を与えたり遮ったりしなくなるからです。身体は色であり、識心を覆い隠して欺く働きがあり、これを色陰と呼びます。色陰の覆いを突破したいなら、禅定の力が必要であり、四禅定に達すれば突破でき、もはや色身に左右されることも、環境に左右されることもなくなります。

一つの色身には勝義根 (indriya) は一つだけで、後脳の部位にあり、六識はそこで生まれ活動します。意根は勝義根の局限を受けず、第八識はなおのこと勝義根の局限を受けず、一切処に遍在して運行しています。勝義根の外にも色法が存在しており、色身全体は勝義根とは別のものであり、両者の間には聯繋もあれば区別もあります。


——生如法師の開示
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