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日常法話

2026年02月02日    月曜日     第1開示 合計4598開示

金剛経講義・六波羅蜜もまた空の相

離相寂滅分第十四原文:何故か。須菩提よ。如来の説く第一波羅蜜は、即ち第一波羅蜜に非ず。是れを名づけて第一波羅蜜と為す。須菩提よ。忍辱波羅蜜は、如来の説く所の忍辱波羅蜜に非ず。是れを名づけて忍辱波羅蜜と為す。

釈:なぜこのように言うのか。須菩提よ、如来が説く第一波羅蜜とは、真に第一波羅蜜が存在するわけではなく、第一波羅蜜は実体ある相ではなく、ただ布施行の名称を第一波羅蜜と呼んでいるに過ぎない。須菩提よ、忍辱波羅蜜とは、如来が説く真実の忍辱波羅蜜が存在するわけではなく、忍辱波羅蜜もまた幻化した仮の相であり、ただ忍辱行の名称を忍辱波羅蜜と呼んでいるのである。

菩薩の六波羅蜜は次の通り:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。もし大菩提心を発し、仏道を成就するために六波羅蜜を実践すれば、涅槃の彼岸に到達し得る。この時実践される六波羅蜜を六波羅蜜と呼ぶ。波羅蜜とは涅槃の彼岸に至ることを意味する。もし菩提心なくして六波羅蜜を行えば、六波羅蜜は単なる善法に過ぎず、波羅蜜とはならず、涅槃の彼岸に到達することはできない。

六波羅蜜の最初は布施波羅蜜である。菩薩の全ての布施行は金剛心によって成就され、金剛心が幻化し執持するものである。生滅・変異・無常であるため、布施波羅蜜は即ち空相・仮相であり、実体ある相ではない。故にこれは第一波羅蜜ではなく、仮に第一波羅蜜と名付けるのである。忍辱波羅蜜行もまた金剛心によって幻化・成就されるものであり、実質的属性を持たず、真実の忍辱相も真実の波羅蜜相も存在しない。従ってこれもまた空相・仮相であり、実在する相ではない。故に忍辱波羅蜜ではなく、仮に忍辱波羅蜜と名付けるのである。持戒波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜・智慧波羅蜜も全て同様であり、いずれも波羅蜜そのものではなく、実体相がなく、全て幻化した空相・仮相である。仮に波羅蜜と名付けているに過ぎない。

菩薩たちが六波羅蜜を修行すれば、明心見性し涅槃の彼岸に到達できる。しかしこの六波羅蜜は如来蔵の実相に依って存在し、また菩薩の五蘊から成る幻身によって初めて修行可能となる。五陰身自体が実体でなく仮相である以上、五陰身に依って修行される六波羅蜜は当然ながら更なる仮相であり、非相である。所謂る忍辱波羅蜜とは、実際には単なる一つ、あるいは無数の虚仮の事相に過ぎず、実相そのものではない。虚仮の事相とは意根の心行が現れた相であり、如来蔵から出生・顕現した相でもある。表面上は存在するが、実質的には無である。忍辱波羅蜜の修行は生滅変異する法であり、恒常不変のものではない。一つの忍辱行為が生じた後は消滅し、次に別の忍辱行為が生じては消える。無数の忍辱行為が菩薩の忍辱波羅蜜を構成し、菩薩はこれに依って生死の彼岸に至るのである。

忍辱行為は五陰身と七識の行為である。五陰そのものが既に非相であり、七識は刹那に生滅変異する。六識は毎日断滅を繰り返す虚妄不実の存在である。ましてや五陰・七識に依って存在する忍辱行は、更なる非相であり、更なる虚妄である。故に忍辱波羅蜜には自性がなく、自在なるものではない。それは単なる表相、一つの名称に過ぎない。


——生如法師の開示
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金剛経解説.なぜ忍辱波羅蜜は非忍辱波羅蜜なのか?

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