衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月08日    金曜日     第2開示 合計1319開示

三昧(samādhi)の境界は独影境である

(下文に図二あり)念仏三昧(buddhānusmṛti-samādhi)が成就したとき、十方の諸仏が目の前に立ち、眼識が見たものは了了分明であるのに、他人には見えない。これはどんな境界なのか?

白骨観が修成したのち、あらゆる人を白骨が連なり、きわめて分明に見るが、他人には見えない。これはどんな境界なのか?観無量寿経のなかで、第一の日観が成就した以後は、目を開けても閉じても、落日が懸けられた太鼓のように眼前と心中に現れるが、他人には見えない。これはどんな境界なのか?十六観のそれぞれの観が成就したのちには、それに応じた境界が現れ、眼識が見るが、他人には見えない。これはどんな境界なのか?

目に金星が飛び、星々が眼前に舞うのに、他人には見えない。これはどんな境界なのか?蜃気楼は誰にでも見えるが、これは何の色なのか?たとえば目に金星が飛ぶとき、眼は金色の星や黒い星を見ることができるのか?白骨観の白い骨、落日の真っ赤な色彩など。これはどういうことなのか?

眼識は色彩を見る。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫・黒・白である。眼識が関与して見るものは、独影境ではありえない。しかし、いかなる禅定(じょう)の中で見る色も、すべて独頭意識(mano-vijñāna-eka-citta)が見るのであって、眼識はない。記憶のなかに現れる色彩、夢の中で見る色彩は、すべて独頭意識が見るものであって、眼識が見るものではない。ここには眼識がない。

——生如法師の開示
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