釈如願:今私は禅定の境地をすでにコントロールしていて、定境に入るとすぐに定境が現れ、定境と夢境、現実の境に違いはないと感じ、どれも虚幻で実のなくつまらないものだと思い、心はずっと三昧 (samādhi) の中で脳裏に現れてくる面白い法義を観ています。私の言いたいのは、静かに座ったり楞厳咒を誦したり(黙念あるいは小声で念じたり)すると、いつも定に入ってしまうので、精神を奮い立たせて定に入らず、脳裏の中の法義を観ている、ということです。
評点:心が空になっていれば境界は現れません。定に入って境界相が現れるということは、心にまだ空になりきれていないものが残っているということです。もしあなたの表現に誤りがあるのでなければ、実はあなたが定に入ったときには境界は現れていない、空定に近いものだということになります。空定の中では法義を参究することはできません。今後は楞厳咒を誦する必要はなく、ただ法義を参究して観ればよいのです。
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