衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月22日    水曜日     第1開示 合計4505開示

種種の大妄語の奇怪な相

末法の時代において、衆生は我見我執が深く、善根福德が浅薄であるため、大妄語の罪を犯す者が比較的多い。これらの人々は戒律と因果を全く重要視せず、自らを欺いて他人を騙し、自らの虚栄心を満たすことが日常茶飯事となっている。衆生は自身の煩悩が重いため、他人の煩悩に対して寛容な態度を取り、こうして非常に多くの不良な風潮を助長し、戒律違反の行為を助長している。

ある部族では大妄語の阿罗汉および四禅の現象が普遍的であり、ある団体では大妄語の初果と明心見性が特に深刻である。ある団体では大妄語の仏の化身や諸大菩薩の化身が特に多く、ある団体では大妄語の諸菩薩聖人の再来者も非常に多く深刻で、様々な聖人の身分が衝突し、矛盾している。なぜこのような現象が起こるかと言えば、聖人の名声に便乗し、聖人の光背を借りて衆生を籠絡し、その中から世間法における多くの利益を得ようとする貪欲さに他ならず、仏教に災いをもたらし衆生を害することを厭わない。その性質は特に悪質である。

しかし、大妄語で諸天神が下凡して人間界に来たと説く者については、数千年の間、私はただ一例だけ聞いたことがある。それは天上の玉皇大帝が配下の天人たちを率いて真夜中に彼の人間界の講堂に来て仏を拝んだという話で、何の法も説かず、録音も録画もなく、ただひたすら仏を拝んだだけで、何もしていない。この玉皇大帝が何を意図していたのか分からない。三十三天の善法堂はどれほど雄大で荘厳勝妙なのに、どうして人間界の粗末な講堂に来る必要があるのか。人間界では毎月の朔日(ついたち)と十五日に、三十三天の天人たちが人間界に来て人類の善悪の行為を巡視するが、毎回玉帝が小さな天人たちを派遣して巡視させている。今になってどうして自ら仏を拝みに降りて来たのか。善法堂に供養されている仏像が荘厳殊勝でないというのか。まことに不可思議である。

また、五百の地神羅刹が人間界の五百頭の子馬に乗って彼らの土地を駆け巡ったという話も同様に不可思議である。これらの地神たちの神通力はどこへ行ってしまったのか、なんと地球上の鈍重な馬に乗り、神通力ほど速くも走れないのに、何のためか?これらの大妄語は、幼稚な子供たちが語る童話のようで、聞けば笑えるが、実は悲しく嘆かわしい。人間は精神病と変わらず、どうしてこのような境地に至ってしまったのか分からない。


——生如法師の開示
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