衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月21日    火曜日     第1開示 合計4504開示

大妄語を犯す根本的な原因

仏陀が妄語戒について説かれた教えは、主に大妄語を対象としており、非常に重大な事柄に関する虚偽の言葉を指します。小妄語はそれに比べて深刻さが低く、禁止の度合いも軽いものです。重大な事柄とは、様々な出世間法の実証を指し、この問題については決して妄語をついて嘘を言い、聖賢を騙ってはならず、聖賢を装うこの罪業は非常に大きいのです。国王を装うだけでも斬首され晒し者にされ、一族皆殺しとなります。ましてや、はるかに世間の凡夫である国王を超えた聖賢者を装うことの罪はさらに大きく、悔い改めることができず、必ず悪道に堕ちます。したがって、誰もが重大な出世間法については、言葉を慎み行動を厳しく律し、細心の注意を払い、100%の確信がなく、確かな証拠がない限り、決して軽々しく自分が何らかの出世間法を証得したなどと公言してはなりません。また、どのような人物が証明したものであれ、もし事実でなければ、必ず重大な悪報を受けることになります。どうかすべての仏法を学ぶ者がくれぐれも注意を払い、大妄語の罪を犯すことのないよう願います。一度人身を失えば、再び巡り会うことは難しいのです。

なぜ多くの人々が、自分は何々の法を得た、何々の果を得たなどと外部に宣言したがるのでしょうか。これはいったいどのような心理なのでしょうか。深く究明してみると、結局は自分が優秀であること、優越していること、他の人々よりも優れていること、自分は他の人々に勝っていること、他の人々は皆自分に及ばないことを証明したいという欲求、あるいは他者からの尊敬、崇拝、感嘆を得たい、他の人々に自分に従わせたい、頭角を現したいなど、それによって自惚れ、自己愛、慢心を抱くことです。これらはすべて心の中の四相が悪さをしているのであり、我あり、人あり、我相が具足し、人相が具足しています。このような人は我見を断ち切っておらず、何の法も得ておらず、したがって依然として我見が具足した凡夫なのです。聖人の法を得たいと思う者は、必ず自分自身の心を深く究明し、自らの心の中にある「我」を掘り起こし、それを破壊して消滅させ、その「我」が再び現れて自分を惑わし、自分に煩悩惑業苦を増大させることがないようにしなければなりません。


——生如法師の開示
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種種の大妄語の奇怪な相

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