五戒においては不邪淫戒が説かれていますが、非邪淫とは正しい淫行を指し、五戒が禁じるのは邪淫のみであり、正しい淫行は禁じていません。では正淫とは何でしょうか。国家の法律法規で定められた許容範囲内で、民俗に合致し法律に適った行為、すなわち既婚の夫婦間における正常な淫欲行為を指します。
では結婚とは何を指し、夫婦とはどのような関係をいうのでしょうか。現代社会において、結婚または法的夫婦とは一般的に国家の民政局が審査を通過し結婚証明書を発行した時点で正式な結婚とみなされ、民政局は証婚人に相当し、一つの家族共同体を構成した男女二人を夫婦とみなします。
結婚証明書を持たずに同居する場合、結婚とみなされ夫婦と認められるのでしょうか。男女二人が法律や道徳規範に反していなければ、結婚とみなし夫婦と認められます。男女二人が偽装離婚し、離婚証明書を取得した後も同居を続ける場合、夫婦と認められるのでしょうか。原則として法律や道徳規範に違反しなければ、依然として夫婦とみなされ、周囲に異論がなければ問題ありませんが、一部の関連優遇措置は受けられなくなる可能性があります。ここからわかるように、結婚証明書があれば男女関係は社会的に公認され、通行証を持っているのと同じです。しかし結婚証明書がなくても、実質的な婚姻関係が存在する場合があります。社会道徳規範に反しさえしなければ、夫婦とみなされ、夫婦間の淫欲は正淫となります。つまり南瞻部洲において正邪は、社会の承認や親族の認可、民間の風習や道徳規範など様々な要素によって定義されるのです。
現代社会には政略結婚も存在し、旧社会には見合い結婚や売買婚、さらに童養媳の慣習もありました。当事者二人が不本意であっても、双方の家の長老が決定権を持ち、権力者も決定を下すことができ、その後婚姻関係は公認されました。古代社会には民政局も結婚証明書もありませんでしたが、どのように夫婦と認められ結婚したのでしょうか。古代社会では「父母の命、媒酌の言」、つまり両親の決定と仲人の言葉が重視され、婚姻には盛大な儀式が伴いました。これらの儀式には一定の告知的意味があり、大衆が認知すれば夫婦関係は成立し、当事者の意向は問われませんでした。
ではこうした関係内での淫欲は正当とみなされ、逆に男女二人がどれほど互いに好意を持っていても、公認関係外で淫行を行えば邪淫とみなされ、世間から排斥されました。正邪の定義は社会一般や長老、権力者によって定められ、表面上の正邪は実際の正邪と一致しない場合があります。仏教の戒律は表向きと実質の両方の状況を考慮する必要があり、もし両者が衝突した場合、最終的には男女双方の心のあり方を基準とします。しかし当事者が既存の婚姻を認めながら、婚姻外で別の男女関係を持てば、当事者の感情や意思に関わらず、それは邪淫となります。
いわゆる婚姻や夫婦とは、社会の承認と公衆の証人が必要なもので、そうでなければ夫婦関係とは認められません。婚姻は社会の承認にかかっており、関係が公開されて初めて合法となるのです。当事者自身の態度は最優先事項ではありません。ここからわかるように、何が法であり何が非法であるかは、完全に大衆の思想観念に依存しており、これこそが戯論(空虚な議論)なのです。社会一般に承認されたものは正とされ、社会一般に認められないものは不正、あるいは邪とされます。これが公序良俗と呼ばれるものです。
そしてこの公序良俗は実際には不合理です。明らかに二人の問題であるはずが、皆の問題、社会の問題に変わってしまいます。時には二人が同意しなくても、皆が同意すれば無理やりにでも一家族とみなされ、淫欲は合法となります。一方、二人が互いに好意を持っていても、皆が認めなければ不合法となり、淫欲は邪淫とみなされます。ここからわかるように、社会規範や習俗などは道理を説かないものであり、したがって所謂正邪とは正邪ではないのです。一切の法を仔細に分析すれば、全ては戯論であり、虚偽で幻のようなもの、無理に一切の法と称しているに過ぎません。ですから全てに執着すべきではなく、世間法とはこのように空虚で実質的意味のないものなのです。
大衆の評論は世論と呼ばれます。もしあなたが世論を重視するなら、世論の影響と支配を受け、大衆に制約されることになります。ある者が人を陥れようとする時、世論という人を殺す武器を最大限に利用します。世論の口撃や筆誅に耐えられれば生き延び、世論の圧力に耐えられなければ死を選ぶしかありません。生きるか死ぬかは、完全に個人の観念にかかっています。観念が正しければ生き延び、観念が正しくなければ死ぬのです。生死は表面上は公衆に左右されているようですが、実際には個人の内にあります。大衆とはいったい何者でしょうか。他人とはいったい何者でしょうか。私とはいったい何者でしょうか。皆何者でもないのに、その中で生死を繰り返し、苦しみ悩み、是々非々に明け暮れるとは、なんと愚かなことでしょう。
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