衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月17日    金曜日     第1開示 合計4500開示

不邪淫戒を犯したかどうかの判断基準

心は罪の根源であり、もし欲心がなく淫行があっても、戒を犯すことはない。少なくとも大乗では心戒を主とし、主に心の行いや心性の善悪の属性を観察する。すでに初禅以上の禅定を得た地上の菩薩は根本の淫心を断じており、衆生を導き摂受するため、やむを得ず淫行を行うことがあるが、その中心に波動はなく、貪欲もない。すなわち淫行時に一切の生理的反応がなく、心の動きもないため、根本的に戒行を犯すことはできない。楞厳経にも、淫欲を断った者が淫行する時は、蝋を噛むような味がして何の趣もなく、何の楽しみもなく、貪楽の心が一切ないと説かれている。このような心であればこそ戒を犯さないのである。

しかし初禅以上の禅定がなく、貪欲の煩悩を断っていなければ、心を把持できず必ず境界を越えて戒を犯す。ゆえに初禅以上の禅定にない者は、決して自らの道行を試そうとしたり、このような行為を真似たりしてはならない。「私も心が動かないから戒を犯さない」などと言うべきではない。自らの智慧が不足し、不動心を理解できなければ、往々にして正確かつ如実な判断を下せない。

『瑜伽師地論』における大乗菩薩戒は、初禅定を得た地上の菩薩のため専らに説かれた菩薩戒であり、地前の菩薩は守持できず実践不可能である。凡夫は言うまでもない。ところが今ある団体が凡夫に瑜伽菩薩戒を授けている。授戒者自身がこの戒を受持する資格すらないのに、どうして他人に授ける資格があろうか。全くもってでたらめである。娑婆世界の衆生は、大小様々な分別のない子供が多く、気ままに振る舞い、教化しがたい。

五戒で禁じる邪淫行為は戒の相(表面的様相)である。何が邪淫で何が正淫かを見分けねばならない。正とは夫婦間で法律に適合し、双方の意思に順い、戒律上は五戒を犯さないものを指すが、時に菩薩戒を犯すことはある。邪はこれと反対で、不正な、公民の権益を侵害する、当人もしくは関係者の利益を損なう行為である。未婚の同棲は違法ではなく戒も犯さないが、現代の公序良俗には反する。古代には婚姻制度がなく登記や証明書類もなかったため、現代の規則で言えば夫婦間の行為も全て未婚の同棲行為に当たる。ただその行為が双方の家族及び社会一般に認められ、当時の道徳規範に反しなかったため、正に属すると言えるのである。


——生如法師の開示
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