仏教において、もし誰かが立ち上がって「私は娑婆世界の仏教の法主(教主に相当)である。仏教のあらゆることは全て私が決定する。誰が説法できるか、誰が説法できないかは私が決める。私が許可した者だけが説法でき、私が許可しない者は説法できない。もし敢えて無断で説法すれば、罪を定める。一つは邪法を説く罪、もう一つは法を盗む罪である。さらに、私が説法を許可した者(全て彼の内部の者)は、私が定めた範囲を超えて説法してはならず、私の説く内容を超えることも許されず、低い次元の内容のみを説くこと。さもなければ戒律違反となり、師の教えと戒めを尊ばないことになる」と言ったならば、この者の行為は盗みに属するのでしょうか。
この者の行為はもはや一般的な盗罪ではなく、大盗であり、世の中で最も大きな盗みであり、これ以上のものはありません。まず第一に、世尊の教主としての権利を盗み、直接的に世尊の娑婆世界に対する指導と管理権を剥奪し、仏の至高無上の仏教全体に対する主導権を盗み取っています。この種の盗罪は懺悔することができず、懺悔しても清浄になることはありません。
第二に、この者は僧侶の弘法権を盗み取り、直接的に出家僧の弘法事業に干渉し妨害し、出家僧の衆生に対する摂受と導きを阻害し、三宝による正常な衆生の導きと摂受という偉大な事業を乱し、仏教人材の成長を阻害すると同時に、衆生が三宝と縁を持てなくさせ、修行と解脱の機縁も断ち切っています。この罪業も非常に深刻です。
第三に、理不尽に他人の説法を制限し、他人の菩薩としての大願の実現を阻害し、他人の菩薩事業の発展を制限すると同時に、縁ある衆生と他人との縁を断ち切り、衆生の修行を妨げ、道業の継続的な成長を不可能にしています。この罪業は比類のないほど大きなものです。
仏教の中でもし十人の者が現れ、皆が法主の権利を争い奪い合うならば、天を覆すほどの大騒動にならないでしょうか? 仏教は存在し続けられるでしょうか? 歴代の祖師方、地上の菩薩を含め、一体誰がほんの少しでも邪な考えや胆力を持って法主の座を妄想的に望むでしょうか? 娑婆世界の法主は釈迦牟尼仏ただお一人であり、他の仏は法主となることはできず、釈迦牟尼仏を補佐することしかできません。仏の弟子である菩薩の中で、一体誰にその胆力があり、その邪な心があり、その徳行と能力があって、法主の座を争い奪おうとするでしょうか? 敢えて仏と争い奪おうとする者はどのような者でしょうか? もし仏教の中にこのような者が現れるならば、全ての衆生が誓った「一切衆生を度脱せん」という宏大な誓願は、どうして成就できましょうか?
仏教の中に今まさにこのような者がいます。一在家居士がなんと全ての出家僧に口を閉ざさせ説法を許さず、出家者が説法をしようものなら破壊活動を行い、相手を邪師として邪法を説く罪と定めたり、盗法罪と定めたり、二者択一で罪を着せています。一体どのような者がこのような卑劣な行為を成し得るのでしょうか? 三十年もの間、彼らが自らを任じる在家僧団で出家僧団に取って代わり、出家僧団を三宝の列から追い出し、その地位を彼らの在家団体が占める計画をずっと練ってきました。これはいったいどのような行為でしょうか? 出家者が自分たちの寺院の講堂で説法していると、彼らは集団を糾合して講堂に押しかけ、説法する僧侶を講壇から引きずり下ろし、説法を阻止します。これはいったいどのような行為でしょうか? どのような悪報を受けるでしょうか? これは僧宝の弘法利生の権利を盗み取る行為であり、しかも強奪的な盗み、強盗罪の中でも最も重い強盗罪です。悪報も当然、強盗窃盗罪の中で最も重いものとなるでしょう。
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