衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月13日    月曜日     第1開示 合計4496開示

聖賢の功名と位階を盗む罪

未証言証は大妄語に属し、同時に盗罪にも関わる。本質的には何の法も証得しておらず、証果も明心もしていないのに、自分が初果・二果・三果だと主張したり、全く真に明心していないのに、自分が住位菩薩・行位菩薩・回向位菩薩、さらには初地・二地の菩薩だと宣言する。真の菩薩に属する名称や功徳利益をことごとく我が物とするのは、まさに大盗である。盗んだものが余りにも殊勝であるため、罪過も特に大きい。しかし多くの人はこのことを無視し、その性質が特に深刻であることを知らず、聖賢の持つそれらの功徳・品性および心性を自分が備えているかどうか、対照・点検することすら一向にせず、聖賢の名称や果位を我が物とする。それによって世を欺き名を盗み、視聴を混乱させ、衆生の聖賢に対する信心を破壊し、衆生の信頼を裏切り、聖賢の品性を凡夫の品級に引き下げてしまうのである。

世を欺き名を盗む行為には他にも、明らかに一位ではないのに、自分が一番だとわざわざ言うことが含まれる。それは盗みであり、一位の名声と功徳、およびそれに伴う利益を盗むことである。二位ではないのに、わざわざ自分が二位だと言うのも同様に、二位の名声と功徳利益を盗むことである。自分にあるものはあるとありのままに言い、ないものはないとありのままに言うべきで、逆さまに言ってはならない。逆さまに言うのは盗みである。

ある人が他人の物を見て、心の中で「あれが私のものだったらいいのに」と思うことがある。そう思った時、盗心が現れている。他人に属する物を自分の心の中に置くのは、すなわち盗心である。ただ行為はまだ現れていないため、盗罪は成立しない。ある人は他人の名声が良いのを知り、心の中で「私が利用しよう」と思う。この時、盗心が現れている。本当に利用し終えたら、盗戒を犯したことになる。例えば、あなたが私の名義で何か事を行ったり言葉を発したりする場合、私はそれを知らない。もし知っていたら同意しなかっただろうに、あなたはそうしてしまった。それこそが盗みである。


——生如法師の開示
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