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日常法話

2025年10月04日    土曜日     第1開示 合計4488開示

僧侶の面前で食物を盗む無間地獄に堕ちる罪

正法念処経原文:いかにして盗みを喜び行い多く作すか。いかにして喜び行い多く作し、盗みて已に地獄に堕つるか。この悪戒の人は、性自ら盗みを好む。悪知識に近づき、若し悪知識と近く住む人と相随うならば、則ち盗みを行わん。

下・中・上の三品あり。何れを下と為すか。王法等を謂うは、前に説く如し。何れを中と為すか。福田ならざる所において、彼の物を盗むは、この盗みを中と為す。何れを上と為すか。仏・法・僧の物を微少なりとも盗むは、是れ即ち上と為す。

釈:何故ある者は盗みを殊の外好み、かつ頻繁に行うのか。何故盗みを好み頻繁に行った後、地獄に堕ちるのか。この戒律を著しく損なう悪戒の者は、心性が盗みに慣れ、常に悪知識に近づき、悪知識の影響を受けて悪習に染まるからである。もし悪知識と近くに住む者と緊密に行動を共にするならば、この者は窃盗行為を行うようになる。

盗みの罪は上・中・下の三品に分かれる。下品の盗み罪とは何か。王法等に背く行為は下品の盗み罪であり、先に述べた通りである。中品の盗み罪とは何か。非福田(三宝でも父母でもない場所)において窃盗行為を行うことである。上品の盗み罪とは何か。仏・法・僧の三宝の物を微少なりとも盗むことであり、これが上品の盗み罪である。

ここで最も重い盗みは仏・法・僧の三宝の物を盗むことであり、盗みの業の中でこれが最も重い。所謂「盗取」とは、三宝に属する物を、所有者の同意を得ずに自らの意志で取り、自己の物として勝手に使用することを指す。たとえ紙切れやタオルなどの極めて微少な物であっても、その果報は極めて重い。これより貴重な物を盗めば、果報はさらに重くなる。もし犯した者がいれば、自ら罪障を軽減する方法を講じるべきである。寺院に頻繁に出入りする者は、自らを深く省みて、蠅頭ほどの利益に至るまで盗み行為がなかったか点検すべきであり、もし発見したならば速やかに罪を懺悔し、可能な限り生じた損失を補うべきである。

三宝を供養すれば無量の福を得るが、三宝の物を盗み占有すれば無量の罪と無量の負債を得る。三宝は世の中で最も大きな福田であり、得る福も最大なら、得る罪もまた最大である。地蔵経には「寺院の一本の草でさえ取れば罪がある」と説かれている。一本の草よりも貴重な物は言うまでもなく、水・電気・ガス・食物・茶・各種用具などが含まれる。占有も盗みの範疇に属し、飲食や物品だけでなく、三宝に属する各種の権利や職責も含まれる。本来三宝が行使すべき権利や職責を、他人が勝手に代行し、三宝に属する人・財・物を動員・配分し、三宝の上に君臨して圧力をかける行為は、この罪はさらに大きい。三宝の功徳・地位・名声を占有・奪取することも盗みに属し、この罪はおそらくさらに大きい。

これらの戒律を厳格に守って犯さなければ、心は自然に清浄になり、何かを得ようとか、得をしようとか考えることもなくなり、心を収めれば自然に禅定が得られる。人の心が定まらないのは、必ず心に事があるからである。もしこれらの事柄を放棄し、もはや心に留めなければ、どうして禅定が修められないことがあろうか。如何なる個人や団体の便宜も占めない習慣を身につければよい。この良い習慣があれば、多くの負債を負うことも少なくなり、多くの福徳を失うことも少なくなる。得をしたところこそ、実は損をしたところである。世の中にはそもそも占め得る便宜など存在しない。因果が存在するゆえに、一分の便宜を占めるごとに、各自の如来蔵に記録され、因縁が熟せば千倍万倍無量倍にして返還される。返還が遅れれば遅れるほど利息は膨らみ、返済額は増大する。

原文:彼の仏・法・僧の物を盗むに、もし僧の物を盗めば、仏法によって清めることができる。もし仏法の物を盗めば、僧はこれを清めることができない。もし衆僧の現前の食用物を盗めば、大地獄に堕ち、頭面を下にする。もし僧の常食に属する物を取れば、則ち無間阿鼻地獄に堕つ。広く闊にして暗く、重き福田たるが故に、微少の盗みも以て、心に念いあり、喜び行い多く作せば、彼の少盗みも地獄・畜生・餓鬼に堕つ。もしまた懺悔し、随喜を生ぜず、心中に悔いを生ぜば、彼は必ずしも受くるとは定まらず。もし盗み人が無量の方便を以て盗みを行わば、この如きが故に、盗みと名づく。

釈:仏・法・僧の物を盗む中で、もし僧の物を盗んだ場合は、仏法によって清めることができる。もし仏法の物を盗んだ場合は、僧侶はこれを清めることができない。もし衆僧の現前の食用物を盗んだ場合は、大地獄に堕ち、頭を下にする。もし僧侶の常用食物に属する物を盗んだ場合は、無間阿鼻地獄に堕ちる。地獄は極めて広く暗く、身体は地獄と同大となり、刑具が色身に満ちる。僧侶は重い福田であるが故に、微少な盗みであっても無間地獄の罪となる。心に盗みの念いがあり、喜んで盗みを実行し、盗みの行為が多いため、微少な物を盗んでも地獄・畜生・餓鬼道に堕ちる。

盗みの後、もし犯した罪を発露して懺悔し、他の者が随喜の心を生じなければ、盗みの後に心に悔いが生じ、他の者が必ずしもそれを受け入れるとは限らない。もし盗み人が無数の手段を用いて盗みを行うならば、このような理由で、これを盗みというのである。


——生如法師の開示
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