一切の天地万物は、それを取ることはすべて盗みである。なぜなら所有権は個人の五蘊に属するものではなく、その主人は天地万物の主である如来蔵であるからだ。したがって、五蘊によるいかなる執取も生死の業行であり、生死の業報を伴う。ただ業行の軽重や善悪の性質に差があるだけで、善悪を問わず、有為法である限り必ず生死の苦を招く。天地万物には一法として五蘊に属するものはなく、色身も識心も含め、すべて如来蔵という仏宝のものである。ゆえに世のいかなる法を執取することも三宝の物を盗むことになる。究竟徹底して我見を断って初めて盗戒を犯さず、あらゆる盗戒を犯さなくなって初めて仏となることができる。
修行者として、諸仏菩薩の三宝の物を盗んではならないだけでなく、一切の聖賢の物、人や天人の物、非人・阿修羅・鬼神・畜生の物も盗んではならず、いかなる衆生の物的所有権・使用権・帰属権も侵害・奪取してはならない。総原則は、自己のものでない一切の物には決して執着せず、占有せず、執取しないことである。このいわゆる「物」の範囲は極めて広く、総括して法と呼ばれ、色法・心法・非色非心法、有形無形の法、有相無相の法を含む。総原則を掌握すれば、一切の盗戒を完璧に守ることができ、二度と微塵も違反することはない。これはいかなる境地か。一切の無明煩悩を断じ尽くした大聖極聖の境地である。このような聖者は、諸仏菩薩でなくて何であろうか。
地蔵経原文:もし衆生ありて、常住の財物・穀米・飲食・衣服を窃盗し、乃至一物も与えられざるを取るものあらば、当に無間地獄に堕つべし。千万億劫を経て求め出づとも期無からん。
地蔵経のこの条を、どれほどの者が犯しているか。在家居士が寺院建立の名目を借りて、数千万にも及ぶ財を横領している事例はどれほどあるか。これは幾度の無間地獄に堕ちるべき罪か。三宝の物を盗んだ者は毎日懺悔すべきである。できる限り懺悔し、無間地獄に堕ちて無量の苦しみを受けることを避けるべきである。不與取とはすなわち盗みであり、住職の同意を得ずに、寺院あるいは出家者の物品を勝手に取り使用することは三宝の物を盗むことに属する。供仏物品を勝手に使用支配することも、すべて三宝の物を盗むことに属する。物品以外に、金銭・人事権・名義なども、住職あるいは主管の許可なく勝手に支配使用すれば、すべて盗三宝に属する。
寺院で住職や主管に挨拶もせず、勝手にお茶を飲んだら盗みになるか。寺院に来て自分の家のように勝手に飲食することは許されない。寺院の物は十方僧の物に属し、物の主人は十方僧である。主人の同意なく勝手にお茶を飲むことは不與取の盗みである。たとえ客人接待用の茶であっても、誰もがいつでも勝手に飲んでよいわけではない。どこにも規則があり、規則に合致しなければ破戒となる。主人がお茶を飲むことに同意していないのに、自ら進んで茶を淹れて飲めば、盗みと見なされる。また茶を淹れる際には水や電気、当然茶葉も使用するが、これらはすべて十方僧の物である。接待担当者が同意していないのに自ら茶を淹れて飲めば、盗みに属する。
寺院が寄進箱を設置せず、無料で精進料理を提供するのはよいか。無料だからといって金銭を支払わなくても、自ら使用した分はすべて負債となる。一般人への負債は千倍で返済し、道ある者への負債は千万億倍から無量倍で返済し、三宝への負債は数えきれない倍で返済しなければならない。
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