衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月01日    水曜日     第1開示 合計4485開示

どうすれば上乗世間法を得られるか

仏は五戒をすべて守る者は人間の身を得、十善を具足する者は天界に生まれると説かれた。現代において、五戒を完全に守れる者が果たして何人いるだろうか。天人は五戒を全うし悪業を造らなければ、死後も人間に生まれ変わるのは問題ない。しかしもし天人が臨終の際に前世の悪業の縁が熟すれば、その者は直ちに地獄に堕ち、どうして人間の身を得られようか。人間の中で五戒を全うする者も、臨終の際に前世の悪業の縁が熟せば、直ちに三悪道に堕ち、どうして人間の身を得られようか。来世で人間の身を得るためには、第一に五戒を全うし、第二に前世の悪業を消滅させねばならない。これを成し遂げられる者が果たして何人いるだろうか。我見を断った者、明心見性した者でなければ難しい。

我見を断つ法があるにもかかわらず、実修に力を注がず、精力を世俗の法を追い求めることに費やし、結果として三悪道の果報を得るのは、果たして値するだろうか。三悪道に堕ちて、いったい何を得ることができるだろうか。この損得を冷静に計算する者はほとんどいない。世の中で賢明な者など果たして何人いるだろうか。仏法を学びながらもなお大悪業を造り、人に扇動されて三宝を誹謗する大悪業を造る者こそ、最も愚かな者ではないだろうか。これは食事をしながら鍋に砂をまき、水を飲みながら井戸に汚物を投げ入れるようなもので、自らの飯の種を自ら潰すに等しい。

世俗の法を追い求めるのであれば、最も確実で安全な方法は何か。どうすればより多く、より大きく、より殊勝な世俗の法を得られるのか。それは菩薩の六波羅蜜を修行し、悟りを開いて菩薩となり仏となることである。修行を成就した聖者たちは、出世間法において自在であるばかりか、世俗の法においても自在である。聖者たちはこの世において、国王となるだけでなく、四大転輪聖王(金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王)となることもできる。一国を治めるだけでなく、一つの洲を治め、さらには四大洲を治め、天に昇って各天層の天主となり、欲界天や色界天を統治することさえできる。この福徳と栄誉を、人間界の衆生がどうして比べられようか。さらに大神通を持つ聖者や八地以上の菩薩ともなれば、地球全体、娑婆世界全体、他の仏国土全体さえも瞬時に変化させることができる。ましてや、様々な世界にある珠玉の宝物など言うまでもない。

なぜこの損得を計算する者がいないのか。貧困が想像力を制限し、視野を遮り、福徳が薄いためにそこまで考えが及ばず、目の前の取るに足らない些事にさえ手が回らないからである。歴代の帝王たちはどこに行ったのか、今何をしているのかを考えてみよ。おそらくその大半はまだ三悪道にいるであろう。彼ら帝王の福徳と栄誉、尊貴さを誰が持ち得ようか。彼らでさえ三悪道で貧窮と苦しみに喘いでいるのに、一般の民衆がこの世で何を掴み取る価値があるというのか。多くの者は慢心を持っている。考えてみよ、自分に何が傲慢になる価値があり、誇るに値するものがあるのか。何かの長になること、紙幣や銀貨をいくら持っていること、それが何の慢心や自慢の種になるというのか。

——生如法師の開示
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