これはまず、皇権が一体誰の所有物であるか、皇権の所有者は誰であるかを見る必要がある。もし皇帝とその家族のものであれば、農民一揆は現皇帝から盗むことになる。では、誰が永遠に皇帝であり得るだろうか。皇帝が亡くなった後、息子が継承しなければ、他の同族の者が皇帝となる。これを見ると、皇帝は固定された存在ではない。変化がある以上、人々の中に大きな福徳と能力を持つ者は同様に皇帝となることができる。したがって、農民が立ち上がり皇帝となることに成功しても、それは盗みとは言えない。
もしこの権力が全ての人々の共有物であるならば、農民一揆が皇帝となることも盗みとは言えない。公共の権力は私人のものではない。もし徐々に私物化していくのであれば、それは誤りである。天下第一になろうという私心を持って皇権を奪うことは盗みであるが、天下のために一心に尽くすのであれば盗みではない。歴史的に見て、農民一揆の多くは、役人の圧政に反抗せざるを得なかった結果であると考えられる。権力を握った階級が腐敗し愚昧になり、暴政を敷き、民衆の死活を顧みないのであれば、民衆が立ち上がりその公共の権力を解除し、自らを救うことは盗みには当たらない。もし一揆側が権力を得た後、同様に公共の権力を私物化し、前任者以上に腐敗し暴虐であれば、その一揆側もまた盗みの行為を犯していることになる。
当時の衆生がどう考えていたか、誰が利益を得、誰が損害を被ったかを見る必要があり、世俗の道徳で因果を説明することはできない。封建王朝の支配の特徴から見ると、王朝の交代は歴史上、支配階級が最も大きな利益を得るものであり、一般庶民が最大の受益者ではなかった。もし帝位を占め、民衆に利益をもたらす実践を行うのであれば、おそらく盗みとは言えない。発心と実践を見る必要がある。では、皇帝が皇権を私物化し、世襲するのは、盗みではないだろうか?皇帝の皇権は、盗んだものではないのだろうか?
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