衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年08月25日    月曜日     第1開示 合計4456開示

ゲーム内での殺傷行為は汚れた意業である

弟子の如舍が言う:以前はゲームの中の殺し合いは全て偽物で、殺生の業とは見なされないと思っていました。しかし深く仏法を学んだ後、瞋恚と殺意を起こすだけで、仏の教えに背き、清浄ではなく如法でもないと感じるようになりました。五戒相経を読んでから、想像上の虫を殺すだけでも戒を犯すことを知りました。修行者は常に世間法における心の中の全ての貪欲と悪念に警戒し、可能な限り遠ざかることで初めて降伏させることができ、ついに修断に至るのです。戒を学ぶことから戒を保つことへ、本当に重要です。

如舍の言う通りです。ゲームの中の偽りの殺し合いも瞋恚の一種であり、瞋恚を放任し染習させることで、同様に染汚であり悪業です。事柄が実際にあるかどうか、真実であるか偽りであるかにかかわらず、心が動き念いを起こすことがすなわち意業であり、煩悩による染汚であり、戒を犯すことなのです。地蔵菩薩が言われるように、衆生が起心動念することは全て罪なのです。ゲーム開発者は人の心理を利用して利益を得ることだけを考え、人々の貪・瞋・痴の煩悩を放任し染習させるかどうかを考慮しません。ゲームをする人もこの次元までは考えず、ただ自分を放任し、そこから楽しみを得るだけです。世俗界が衆生の貪欲を利用して私利を謀るだけでなく、仏教界にも別の意図を持つ者が同様に私利を謀り、衆生の貪欲心理を利用し、衆生が何を求め何を好むかを知って、それを与えるのです。衆生は良い味を占めると、死に物狂いで護持し、あらゆる非法なことをやり尽くし、自ら気づくことがありません。

皆が五戒を戒律と見なしていますが、実はこれらは全て世俗法であり、善良な君子の行いであり、教養であり、人柄であり、徳行であり、誰もが当然よく行うべきものです。来世も人間に生まれ変わりたい、あるいは生々世世にわたり人間に生まれ変わりたいと願う者は、時と場所を問わず自らの身・口・意の行為を点検し、でたらめに造作してはなりません。人間の身を得るには条件があり、自分がこれらの条件を満たせるかどうか、悪業が人間の身を得ることを妨げていないかどうか?


——生如法師の開示
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