問:もし人がこの一生でたくさんのお金を稼いだのに、すべて銀行に預けたまま、死ぬまで一銭も使わなかったとしたら、この人は一生かけてこれほどのお金を稼ぎながら享受していないわけですが、これは福報を現金化したのでしょうか、それとも現金化していないのでしょうか?
答:人の福報が如来蔵 (tathāgatagarbha) の中で現金化されていなければ、世間の生活の中でいかなる形の福としても現れることはありません。人から尊重されること、人から慕われること、人から敬われること、知名度が高いこと、権勢が大きいこと、容姿が良いこと、身体が健康であること、諸事が順調であること、心の健康、家庭の円満、子供の親への孝行など、すべて福報を受用している現れの形です。
人が一生かけてたくさんのお金を稼ぐということは、これが福報であり、如来蔵 (tathāgatagarbha) から流れ出てきたものです。お金を使っていないからといってお金がないわけではなく、お金がある限り、それは福報の変現であり、福報の業種が如来蔵 (tathāgatagarbha) からお金という形で流転して出てきたことを示しています。この人はお金を使って享受していないとはいえ、これらのお金は彼に心理的な慰めを与え、生活の安心をもたらし、保障と拠り所があると感じさせ、幸福を感じさせ、お金があると感じさせ、胸を張って晴れ晴れと感じさせ、人より一段上だと感じさせます。これらすべての感覚こそが福報を受用した結果です。さもなければ、一日中憂いに沈み、恐れおののき、生活に当ても保障もないと感じ、人より一段下だと感じることになります。これは福報がないことの現れです。
この人は一生の間お金を使わなかったとはいえ、銀行に預けてあるので、自分の家族や親族がそれを享受でき、家族の利益になったのです。これもまた福報の現れの形です。もし彼が家族に対して負っていたのであれば、これで借財を返したことになり、これも同様に福報を享受した現れです。もし家族も享受していなければ、銀行が利益を得たことになり、彼は前世で銀行に対して負っていた債務を返して債務を清算したのか、あるいは銀行に布施 (dāna) して銀行の利益にしたのかのどちらかで、後世には千倍万倍の福報を得ることになります。
人は福報を現金化して、それをさらに布施 (dāna) することができ、福報で福報を生み出すことができます。これは世間で最も大きな商売であり、最も儲かる投資です。誰のところに投資すれば、その人が借財を負い、のちに千倍万倍にして返していく、まさに高利貸しです。しかし、中にはこうして高利の債を負って目先の利益を得ることを好む人もいるのです。
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