衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年08月13日    水曜日     第1開示 合計4446開示

福報を現金化する行為の現れ方

問:もしある人が一生で多くのお金を稼いだが、全て銀行に預けたままで、死ぬまで一銭も使わなかった場合、彼はこれほど多くのお金を稼ぎながらも享受しなかったことになります。これは福徳を現金化したことになるのでしょうか、それとも現金化していないのでしょうか。

答:もしある人の福徳が如来蔵の中で現金化されていない場合、この世の生活においては如何なる形の福も現れません。人から尊重されること、羨望されること、恭敬されること、知名度が高いこと、権勢が大きいこと、容姿が良いこと、身体が健康であること、諸事が順調であること、心が健康であること、家庭が円満であること、子供が孝行であることなど、これら全ては福徳を受用している現れです。

ある人が一生で多くのお金を稼ぐこと、これ自体が福徳であり、如来蔵から流露してきたものです。お金を使わなかったからといって、お金を持っていないわけではありません。お金を持っているということは、それだけで福徳が現金化されたことを意味し、福徳の業種が如来蔵から金銭という形で流転してきたことを示しています。この人がお金を使って享受しなかったとしても、これらのお金は彼に心理的な安心感を与え、生活の安らぎをもたらし、保障と拠り所があると感じさせ、幸福を感じさせ、裕福であると感じさせ、意気揚々とさせ、人より優れていると感じさせます。これらの感覚の全てが、福徳を受用した結果なのです。そうでなければ、終日憂慮に駆られ、心配と恐れを抱き、生活に拠り所も保障もないと感じ、人より劣っていると感じることになります。これは福徳がない現れです。

この人は一生お金を使わなかったかもしれませんが、銀行に預けることで、自身の家族や親族がそれを受用でき、家族に利益をもたらしました。これもまた福徳の現れの一形態です。もし彼が家族に借りがあったなら、それによって借りを返したことになり、これも同様に福徳を受用している現れです。もし家族も享受しなかった場合、銀行が利益を得ることになります。彼は前世で銀行に対する負債を返済したか、債務を清算したことになります。あるいは銀行への布施となり、銀行に利益をもたらし、後世で千倍万倍の福徳を得ることになるのです。

人が福徳を現金化して再び布施に回すことは、福徳を用いて福徳を生むことです。これはこの世で最大の商売であり、最も儲かる投資です。誰に投資しても、その者は負債を負い、後で千倍万倍にして返済することになります。まさに確かな高利貸しです。しかし、中にはこのように高利の負債を負って現世の利益を得ることを好む人もいるのです。

——生如法師の開示
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