優婆塞五戒相経 第三節 原文:若し優婆塞、自ら八支を受く。婬を行えば、犯すこと悔ゆること不可なり。八支には復た邪正無し。一切皆犯す。若し優婆塞、都て戒を受けること無きも、仏弟子の浄戒の人を犯せば、戒を犯すの罪無きと雖も、然る後に永く五戒を受くることを得ず。乃ち出家して具足戒を受くるに至る。
釈:もし優婆塞が仏前において自ら八関斎戒を受け、この期間中に婬を行えば、相手が誰であれ、たとえ自分の妻であっても、不可悔罪を犯す。八関斎戒の期間中は、一切の婬欲があってはならず、妻との正婬であれ、他の人との邪婬であれ、婬を行えば全て不可悔罪を犯すのである。優婆塞は何の戒も受けていないが、もし浄戒を持つ人を侵犯すれば、戒を犯す罪はないが、今後永く五戒を受けることができず、また出家して具足戒を受けることもできない。
原文:仏、諸の比丘に告げたまわく、吾に二身有り。生身と戒身なり。若し善男子、吾が生身の為に七宝の塔を起ちて、梵天に至る程の高さに至らしむ。若し人之を虧くとも、其の罪尚ほ悔ゆること有り。吾が戒身を虧くは、其の罪量り無し。罪を受くること伊羅竜王の如し。
釈:仏は諸比丘に告げられた、私には二つの身がある。一つは生身(肉体)、もう一つは戒身(戒律の体現)である。もし善男子が私の生身(肉体)のために七宝の塔を建て、梵天に届くほどの高さにしたとして、もし誰かがその七宝の塔を壊しても、この罪はまだ懺悔によって滅除できる。しかし、もし人が私の戒身(如来の制定された戒律)を損なうならば、その罪は量り知れず、受ける罪報は伊羅竜王の受けた罪のようである。
何をもって仏の戒身を損なうというのか。それは仏の制定された戒律に背き、仏戒を犯し、如来を損ない、如来に愧じることをいう。このような罪過は量り知れず、伊羅鉢多羅竜王の受けた罪報のようである。伊羅鉢多羅竜王は七つの頭を持ち、それぞれの頭から伊羅樹が生えている。なぜ伊羅樹が生えるのか。伊羅鉢多羅竜王は過去世に比丘であった時、瞋りの心で故意に伊羅樹の葉を傷つけたため、久しく劫を経て竜身に堕ち、頭の上には更に一本の伊羅樹が生え、膿血が流れ蛆虫に食われる痛みに苦しんだ。幸いにも仏陀の開示を聞き、因果を理解し、安忍して懺悔することができたが、このような業報は弥勒仏が出世するまで脱することができない。故に仏法を学んだ後は、再び煩悩に従ってはならない。煩悩に従うことは、即ち如来の戒身を損なうことであり、その罪は量り知れない。
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