優婆塞五戒相経 第一節 原文:毘陀羅とは、若し優婆塞が二十九日に、全身の死人を求め、鬼を召して屍を咒い起こし、水洗い衣を着せ、手に刀を執らしむ。若し心に念じ口に説く『我は某甲の為に此の毘陀羅を作る』と。即ち咒術を読む。若し害さんと欲する人死すれば、悔い不可の罪を犯す。若し前人諸の三昧に入り、或は天神の護る所となり、或は大咒師の救解する所となり、害成らずんば、中悔可の罪を犯す。是を毘陀羅殺と名づく。
釈:起屍鬼を用いて人を殺す者について。優婆塞が旧暦二十九日この日、全身を留めた死人を探し求め、鬼を召喚する咒文を誦して屍を加持し、屍を立ち上がらせ、水で清め衣服を着せ、手に刀を握らせる。優婆塞が心に念じ口に「私は某甲のためにこの起屍鬼を作った」と述べ、続いて咒文を誦して人を害する。もし害そうとした者が死んだ場合、優婆塞は悔い改められない殺罪を犯す。もし相手が三昧に入って悪咒を避け、あるいは天神の加護を受け、あるいは大咒師に救済されて殺害が成就しなかった場合、優婆塞は中程度の悔い改め可能な罪を犯す。これが起屍鬼を用いた殺人方法である。
何故起屍鬼が人を殺せるのか。屍体そのものは人を殺せない。識心を有さぬ故に屍体を駆使して作為することはできない。しかし鬼が屍体に憑依すれば、識心と身体が和合し、鬼の識心が屍体を駆使して作為し、刀を執って人を殺すことができる。人は鬼に飲食など何らかの利益を与えれば、鬼は人の駆使と召喚に従い、人に奉仕する。ある鬼は咒力によって駆使される、即ち咒文を誦する者に使役される。また屍体と鬼を用いず、直接咒文だけで人を咒殺する方法もある。この原理は何か。咒文は人の心を表す。人の心力が強大であれば、心念のままに人を動かす。心力が弱ければ咒力も弱い。
優婆塞五戒相経 第一節 原文:半毘陀羅とは、若し優婆塞が二十九日に鉄車を作り、鉄車を作り已りて鉄人を作り、鬼を召して鉄人を咒い起こし、水洗い衣を着せ、鉄人の手に刀を執らしむ。若し心に念じ口に説く『我は某甲の為に此の咒を読む』と。若し是の人死すれば、悔い不可の罪を犯す。若し前人三昧に入り、諸の天神の護る所となり、若し咒師の救解する所となり、死せずんば、是中罪悔可なり。是を半毘陀羅殺と名づく。
釈:半起屍鬼を用いて人を殺す者について。優婆塞が旧暦二十九日この日に鉄車を製作し、完成後に鉄人を作り、鬼を召喚する咒文を誦して鉄人を立ち上がらせ、水で鉄人を清め衣服を着せ、鉄人の手に刀を握らせる。優婆塞が心に念じ口に「私は某甲のためにこの咒文を誦する」と述べ、咒文を誦した後、もし相手が咒殺されれば、優婆塞は悔い改められない殺人罪を犯す。もし相手が三昧に入って咒文を避け、あるいは諸天神の加護を受け、あるいは咒師に救済されて死ななかった場合、優婆塞は中程度の悔い改め可能な殺罪を犯す。これを半起屍鬼殺人という。
何故三昧に入れば悪咒を避けられるのか。人が三昧の中にあれば、自身の磁場が極めて強大となり、一切の外来的な干渉と侵害を遮断する。故に悪咒毒咒も侵入できない。
14
+1